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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

円相(円窓:えんそう)を常に意識する

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忘れてはいけないイメージ。

今この瞬間の「意識の野」に、鳥の声、朝の匂い、窓からの景色など、すべてのものが生じている。

その気づきを忘れないでおくこと。

その気づきを常に思い出すこと。

その気づきのイメージは楕円のような気がしていた。

その気づきはまさにAwarenessそのものであり、Awarenessという「意識の野」に知覚を通じて世界が生起しているのだ。

しかし、いつの間にか、Awarenessという枠組みを忘れてしまう。

それは「色」が生起する「空」としての「背景」だが、いつしか日常の中で、空を忘れ、色しかないかのように思い込んでしまう。

そのたびに「そうそう、これを忘れてはならぬ」と思い起こしていたのだ。

何かこのイメージを表したものはないか

何かこの忘れてはならない楕円のような形

ふっっ…それは、禅でよく書かれるあの「円」だ!とひらめいた。

禅で描かれているあの円とは、Awareness(「気づきの意識」松永太郎氏訳)なのでは。


この円(円相)はすべてを表している。

これしかないのだ。(「今」しかない、「ここ」しかないというのとおなじように)

いや、この円の外と、円の中しかないのである。

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 なぜ禅寺にある円窓があれほど美しいと感じられるのかが分かった

円窓は、くりぬいた円形の窓から外の景色を眺めるが、

ここでは、黒のスクリーンに映像が映っているとイメージしよう。

景色の映像の下にも黒いスクリーンは隠れて存在している。

このスクリーンの黒い部分は、Awarenessの思考のない「無」の領域である。

あるいは、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」のStillness「閑さ」の領域である。

あるいは無形の領域であり、空白のスペースである。


この円窓から観ることは、実相を観ることなのだろう。

だから、あれほど、言葉を失い、釘付けになるほど、美しいのだ。


思考や感情も、この円相の中にある。

過去も未来も、この円相の中で、生じては消えていく。

空に月が浮かんでいるように、青空に雲が流れているように。

(写真は「明月院円窓」http://96chillout.blog39.fc2.com/blog-entry-302.htmlより)