ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

微かだが大切な、内なる躍動

朝から、長引く風邪に体調もすぐれず、諸事あまり良いとは言えない状況にあって、気分もやや落ち込んでいた。

年末年始に掴みかけていたあのビジョン、意欲、情熱は、もはやいずこに過ぎ去ったかと思われた。

しかし・・・、おっと、そうであった。

こういう時こそ真価の見せ処なのだ、と思い出した。

そう、こういう時こそ真価の見せ処なのだ。

状況に、持っていかれていた。

状況に、振り回されていた。

体調も、ここでいうその状況のひとつである。

状況が、快いものを持ってきてくれるように漠然と思っていたのではないか。

無意識に。

私は自分の意識の持ち方に、意識を馳せるのを失念していた。

自分の「意識の野」に生起するものを、注意深く見守ることを怠っていた。

私は、NPOの子どもたちがどうなれば良いのかを考えていたはずであったが、自分がどうであればよいのかを失念してそのことを実現できるはずもなかった。

こういう時こそ、やがて後にも記憶の残るような真価の見せ処なのだ。

ふりかえった時に、そうそうそれでよい、と思える切り換えの瞬間、それが今なのだ。


今この瞬間の状態を整えよう。

状況はコントロールできずとも状態はコントロールできる。

意識をどこに向けるかは選択できるのだ。

意識を向けるべきところに向ける時、明晰性が戻ってくる。

明晰性が連れてきてくれるのは、微かな内なる躍動だ。

微かだが大切な、内なる躍動…。

それはいつもここにある。