ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

過去との共同体感覚

6月26日に「未来との共同体感覚」について書きましたが、今回は「過去との共同体感覚」について下記のブログにアップしました。

エスビューロー事務局長のブログ: 過去との共同体感覚

同じ内容をそのままこちらのブログにも以下に掲載します。

過去との共同体感覚

 当団体は阪大病院で小児がんのため子どもを亡くした母親らが中心となって、当時の主治医らが協力する形で2000年に発足したNPO法人です。

今日は少し特別な日なので、アドラーのいう共同体感覚のうち、「過去との共同体感覚」について書いてみようと思います。

共同体感覚とは、ありのままの自分を受け入れることができ(自己受容)、ここにいてもいいと感じられ(所属感)、他者は仲間であると信頼でき(他者信頼)、自分は他の人の役に立っているという実感がもてる(貢献感)、そんな対人関係の感覚であるといえます。


ですから通常は、学級や職場あるいは近隣の地域など現在自分が所属しているコミュニティに対してもつ感覚なのですが、アドラーは未来との共同体感覚、過去との共同体感覚、さらには生きとし生けるものを超え、宇宙まで含めた共同体感覚にまで言及しています。


「未来との共同体感覚」とは、

未来との共同体感覚 - ウィルバー哲学に思う

に書かせていただいたように、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」で、祖母役の大地真央さんが話した言葉がまさにそうです。


木材ってのは、いま植えたもんじゃない
40年、50年前に植えたものが育って商品になる
だから植えたときは自分の利益にならないのさ
それでも40年後に生きる人のことを思って植えるんだ
次に生きていく人のことを考えて暮らしておくれ


「次に生きていく人のことに思いを馳せられる」、これがまさに「未来との共同体感覚」でしょう。

では「過去との共同体感覚」をどのように考えればいいのでしょうか?


冒頭に触れたように当団体の原点には、阪大病院での小児がんの闘病生活がありました。二人の子どもの短かったけれども深い生があったこと。その生があったからこそ当団体が発足し、16年を経て現在に至っているのです。これまでも、そして今も、その生は当団体に、当団体の活動に、当団体の理念に、当団体のビジョンに息づいています。


その生がなければ、私たちの世界、特に当団体に関わるメンバーの見る世界はまったく違った世界になっていたでしょう。


当団体は存在していなかったでしょうし、小児がん脳腫瘍全国大会も開催されていないでしょう。そこで発信してきた数々の知見についても皆さんへの伝わり方は大きく違っていたことでしょう。


人と人との関係も変わっていたでしょう。私自身もこの活動に関わっていなかったでしょう。人生は大きく変わっていたに違いありません。


彼らの短くて小さな生は、どんなに大きい影響を与えてきたのか。いや今も与え続けているのか。そのことに思いを馳せるとき、驚くほどの縁起(仏教でいうところの)を感じざるを得ません。


縁起とは英語でdependent co-arizing という、と昔読んだ何かの本に書かれていました。「相互依存的連携生起」と訳されるそうですが、亡くなって尚、相互に関係しあい、そこに息づき、新たなものを創造し続けているのです。不思議ですね。


亡き親に対してそれを感じる人もいるでしょう。恩師にそうした感覚を感じるかもしれません。お盆には先祖にそうした思いを感じた方もおられるでしょう。


そしてその実感こそが、「過去との共同体感覚」なのではないでしょうか?


今日という特別な日に思いを寄せてこれを書き記しました。