ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

ポイエーシス的な働き方

NHK「100分de名著」昨年12月の名著はレヴィ=ストロースの『野生の思考』であった。

 この概念を伝えるのは難しいのではないかと思われたが、中沢新一氏の巧みな解説と伊集院氏のコメントがよく効いて興味深く見ることができた。今朝その第4回目を見直していて、特に「ポイエーシス」について書きたい気持ちになった。

 「オートポイエーシス」という言葉なら知っていた。かなり昔に自己組織化の理論について書かれた本で目にしたと記憶している。このブログでも取り上げたことのあるフランシスコ・ヴァレラが理論の提唱者だ。しかし「ポイエーシス」(英語:poiesis)そのものについてはよく知らなかった。この言葉、もとはギリシャ語だという。

 単語をネット検索すると

 ギリシャ語で「制作」や「生産」などを意味する語。アリストテレスはポイエーシスを、自然を対象とした制作と捉え、ポイエーシスと対をなす概念として人間社会を対象としたプラクシス(実践)という概念を唱えた。

 などと書かれている。

 

以下番組のコメントとそのテキストから抜粋引用する。

フランス語で「労働」を意味するトラヴァイユ(travail)という言葉には労苦という意味があり、厭わしい時間を耐えねばならないというニュアンスがあるが、メラネシアのいわゆる未開社会の言語にはtravailにあたる語や概念自体がない。

そして古代ギリシャにもtravailに相当する言葉はなかったらしい。

 古代ギリシャでは働くことを、「プラクシス」と「ポイエーシス」という2つの言葉で表現していた。

プラクシスは、英語のプラックティス、すなわち実践のことで行為する「人間が自分自身の目的のために事物を使用する」という意味だが、ポイエーシスは、「事物それ自体の目的のために作り出す」ことだ。

 例えば、陶器職人や木工職人が、何か有用なものを作る場合、プラクシスというよりポイエーシスである。

 あるものを自分の目的のために変形して使うのではなくて、その中にすでに存在する形を外に取り出すと考える。それは「土や木が望んでいることを実現する」という考え方に近く、自然物の中に隠されている目的を外に取り出して、役に立つ用具にしたてるという作業が職人の仕事であり、ポイーシスなのだ。

 そしてレヴィ=ストロースは、日本の職人たちが作った様々な陶器や塗り物、着物や家具を注意深く観察し、ポイーシス的労働の考え方が生きていると思った。

 それはまさに、柳宗悦(むねよし)が、「民藝」と呼んだものに通じる。職人が

 

受動的に本質を取り出す

 

すなわち、自然物の中に隠れている本来の機能を受動的に取り出して民藝品を作ること。それはまさにポイエーシスだ。(引用ここまで)

  

例えば木であれば、樹種はもちろん、曲がり方や年輪、幹など材の性質などをよく見たうえで素材に適したものを作る、その特性を生かせるように材を用いるという発想である。

 柳宗悦は、これを民藝の「用の美」といったのだそうだ。

 そしてこの職人の働き方の話を聞いた時、島根県温泉津町の下駄職人だった妙好人「才市」のことが頭に浮かんだ。「100分de名著」のテキストをみると、やはり浄土真宗絶対他力と民藝思想の結びつきについて書かれてある。日本の里山も「ポイエーシス」の働きを借りて作られているという。

 ポイエーシス、日本語でいえば、はからいなき「はたらき」、それは鈴木大拙のいう「日本的霊性」の核心部だと書かれている。名言だ。

 

ポイエーシス的な働き方・・・。ミヒャエル・エンデは禅に造詣が深かったというが『モモ』にでてくるベッポ爺さんの掃除の仕方や、藤城清治さんが作品の影絵を切るときの境地にも通じるものがあるだろう。

ある種のゾーンに入った状態ともいえるかもしれない。

 自分が行っているというより、自分を通じて起こっているという感覚。

 私は、学生時代に岩登りが好きで、今ではかなり知られるようになったボルダリングに熱中していた。

 数メートルの高さの花崗岩。クラックやオーバーハングを下から見ながら体のモーションをイメージする。足の位置やグリップの角度をあれこれ想像して取り付く。何度も失敗し、飛び降りる。指の皮に血がにじむ。翌日も翌日も。しかしそのうちに、ふっと体が軽くなり核心部をクリアーできる。勝手に体が動くのである。

 ものづくりではないが、これもポイエーシスだろう。先の例でいうなら木が岩で、ボルダリング自体が作品である。岩の形状とその形に合わせて瞬間瞬間に創造されるモーション。その協同作業がボルダリングという作品を創造する。

 

 そうした働き方ができるならそこには「生命の躍動」が感じられるはずだ。歓喜がほとばしる。他者から認められることがなくても内なる充実感に満たされ楽しい。そんな時ほど創造的な仕事ができているものだ。

 記憶に残る良い仕事とは共通してこうした印象を残している。あの時の報告書、あの時の企画書、あのプレゼンテーション、あの冊子の原稿・・・。

 「やりがい」とは「創造」、「貢献」、「向上」のトライアングルで生まれるというのが若かりし頃の持論であったが、それに加えて「自ずと成る」イメージが大切なのではと以前このブログ(2013/3/17:観察者としての自己の成長)でも書いた。

 そのニュアンスに「ポイエーシス」は、ピッタリである。

 

ポイエーシス的な働き方

 

日本のものづくりに生きている理想的な働き方として大切にしていきたいと思う。