ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

マトリックスと共同体感覚

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 ケン・ウィルバーの『意識のスペクトル1・2』『アートマン・プロジェクト』『無境界』などを翻訳された吉福伸逸氏の遺稿でもある本書。『世界の中にありながら世界に属さない』というタイトリルに惹かれ、1年ほど前に購入しました。

 

そしてこの数日、再び目を通したりしていたのですが、ふと以前には気に留めなかった「マトリックス」についての言及に釘付けになりました。(それは年初に会社の商号を「経営マトリクス研究所」変更したからであることは言うまでもありません。)

 

(以下引用)

マトリックスの役割と移行 p62

この話はこれまでもワークショップなどで「マトリックスの移行」ということで話してきました。われわれは生まれてから、何か自分の背景となってくれるような、自分自身を全面的に明け渡してしまってもかまわないような、信頼できる何ものかとのつながりをベースにして生きているとぼくは考えています。

 たとえば、われわれが胎児のときには、母親の子宮が世界そのものですよね。母の身体内にいて、胎児に必要なことはすべて子宮が提供してくれるわけです。では、子宮が胎児に何をしているかというと、一つには、胎盤、へその緒を通して必要なエネルギー源を提供するということがあります。もう一つは、子宮の中にいる胎児に徹底的な安心感を与える。「この中に住んでいるかぎりは私は大丈夫」という安心感を与える。さらには、子宮内にいるときも胎児は排泄物を出しますので、その排泄物をきちっと処理してくれる。この3つが子宮という形のマトリックス、つまり母体がやってくれることなんです。

 胎児は子宮の収縮が始まり、子宮口を通り、産道を通って外に出てきますよね。そうやって出てきた新生児も、3つの機能を持つマトリックス(母体)を必要としています。

 胎児のときにはへその緒を通して栄養を与えてもらいますが、新生児は哺乳類ですから、生まれてくると哺乳によってそれが行われるわけです。哺乳は母親の乳房からミルクをもらうという形で、絆がへその緒や胎盤から乳房に変化する。出産後も母親はマトリックスとして機能していますが、母親の子宮から今度は母親全体がマトリックスの働きをするわけです。・・・必要な安心感とエネルギー源を与えて、同時におむつの世話をしたりといった排泄物の処理を母親が行っていくわけです。つまり、それまでのマトリックスであった子宮と同じような働きをするんです。

 

 欠如のトラウマと過剰のトラウマ p65

欠如のトラウマというのは子どもの成長・発達の過程で必要なものが、その時期に与えられないために発生するものです。過剰のトラウマは逆に、もう必要がないのに過剰に与えられ続ける場合に発生するものですね。その二つの問題さえなければ、子どもはひどい状況にはならないはずなんですよ。ただし、それには母親がある程度の心と身体の健全性をもっていることが前提になってきます。・・・

 

女性性と母性 p67

母親が精神的な健全さを保つには、その夫、子どもの父親との関係が影響します。母親と父親の関係がうまくいかないことは、子どもと母親の関係に大きな影響を与えます。・・・その男性との関係が安定したものであれば母性はゆったりと機能できると思いますが、それが不安定でときに激しく問題が起きたりする場合には、母性がうまく機能しないことも十分に起こるでしょう。・・・

パーソナリティは十全な母性の発達の慈愛を受けていないとどうしても歪みがちになってくるんですね。非常に典型的なのは、対人関係で不信感が強く出やすくなることです。他者を信頼できず、他人に自分を預けることができませんから、常に不信感を持って他人と接触するようなパーソナリティに育ちやすくなってしまうわけです。

 

 母体=マトリックスとの絆がしっかりと結ばれていない場合には、自分の根源的な必要性が満たされないという不安を持つようになります。・・・けれども、母親との絆が結べなかった人が、必ずしも他者に対する不信感を持つわけではありません。さまざまな代用がそれを補償してくれる状況があり、その代用で関係性ができあがる可能性がいくつもあります。

 

 母親から家庭、そして社会へ p70

母親のあとのマトリックスになるのは、だいたい家庭です。家庭がマトリックスの役割をして、子どもに必要なエネルギー源となり、安心感を与える。家にいると子どもはみんな安心するでしょう。安心感を与え、さらには排泄物を処理するという行動が、家庭内で行われていくわけです。

 子どもが10歳ぐらいになると、マトリックスとしての母をちょっと後退させて距離をとる時期がやってきます。西洋社会では一般的に父親がロゴスと呼ばれる剣で母と子の絆を断ち切るといわれています。・・・

一方、東洋の場合は違ってきます。父がロゴスという刃をもたないケースが非常に多く、母と子の絆を断ち切ることがあまり行われていないんです。・・・

このことはあまり一般的には言われていませんが、西洋では少々早過ぎる時期にマトリックスとの断ち切りをやり、逆に東洋ではいつまでも断ち切らないということなんです。そのどちらの場合も、子どもの成長発達にとっては大きな問題になっています。理想的には子どもから明確なサインが出てきたときに、父親が論理的・理念的なロゴスという刃を使って母親との絆をしっかりと断ち切ることなんです。・・・

家庭の次は、今度は外に出て行って、自然界や社会をマトリックスとしていきます。・・・

 

不安定なマトリックス p73

自然界や社会がマトリックス機能を果たす時期に入って10数歳ぐらいになると、子どもたちは次第に親と一緒に行動しなくなってきます。・・・それは親や家庭といったマトリックスに対して、「もうぼく(私)のマトリックスじゃないよ」というサインなわけです。・・・母親がそのサインを読み取れる感性を持っているかどうかは非常に大切なことです。

 

英語ではpeer group(仲間集団)といいますが、この時期の子どもたちは、だいたい同年代グループが最も強い影響力を持っています。そのため、この時期には同年代とのつながりをマトリックスとする場合が結構あります。・・・けれども、このマトリックスは非常に不安定なマトリックスなんですね。3つの条件(エネルギー、安心、排泄処理)をきちんと果たすマトリックスでは全然ないんですよ。そのために、子どもたちがその時期に差しかかる12~13歳頃からの思春期前半は、最も危険な状態になるんです。マトリックスが必要なもの全部を与えられないからです。さらに、この時期は生理的な衝動に強くかられる年齢ですから、しっかりとしたマトリックスの中にいれば起こらないようなことも起こってきます。

 

マトリックスの機能不全 p75

どんどん年をとっていくと、マトリックスはもっとシフトしていきます。それぞれのマトリックスには役割がありますが、それがしっかりと働いているかどうかは、自分で簡単に知ることができるんですよ。たとえば、不安をおぼえたり、何かがおかしい、落ち着かない、ゆったりと安心できないといったような不信感にさいなまれてしまう場合には、おそらくそのマトリックスはしっかりと働いていないんですね。あるいはマトリックスの役割を果たせないものをマトリックスにしようとしている場合なんですね。・・・

ある時期の成長を遂げたあとに、所属意識と呼ばれるある種、感覚的なマトリックスが提供されることがあるんですね。たとえば、特定の団体や会社、あるいは宗教やコミュニティなどに属することによって、そこにマトリックスの働きを要求することが起きるといったようなことです。

  

p135

小さな共同体の修正機能

あまり大きな社会ではなくてある特定の規模の小さな村落や共同体のようなところで生まれ育ってそこで一生を送る人たちは、たとえば、心理療法や精神科にかからなくても、その共同体での生活を通して過剰だったり欠如していたものが、本人には何も自覚がないままでも自然に修正され、何らかの補償が起こって、ある特定の人格に仕上がっていく傾向が十分にあったという気がします。・・・たくさん魚がとれたから魚をあげるとか、野菜ができたからあげるというような、・・・その中には非常にあったかい情緒や情念が存在しているという感覚がありました。そのようなマトリックスがあれば自然だったと思いますが・・・。

 

子宮、母親そして家庭の次にくるマトリックスとは、いったい何なのでしょうか?それによって不安定になりやすく、機能不全に陥りやすいマトリックスを修正し補償するように働くマトリックスとは何か?

 

それは、アドラーのいう「共同体感覚」を実感できるコミュニティ(所属グループ)のことだと直感しました。

 

共同体感覚とは、簡単に言うと、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることです。では、共同体感覚がもてるようになるには何が必要なのでしょうか?

『嫌われる勇気』(岸見一郎著)では、共同体感覚を持てるようになるには、自己受容、他者信頼、他者貢献の3つが必要になる(p226)と書かれています。

 

自己受容とは、60点の自分を、そのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えること。(p228)

 他者信頼とは、他者を信じるにあたって一切の条件を付けないこと。(p231)

 他者貢献とは、仲間である他者に対してなんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。(p237)

です。

 

また四日市市教育委員会の行った小学校クラスにおける共同体感覚のアンケート調査の項目(共同体感覚尺度)は次のようになっています。

1)自己受容

あなたは苦手な部分も含めて自分のことが好きですか

あなたは自分のことを大切にしていますか

2)所属感

あなたのクラスは居心地がいいですか

あなたはメンバーの一人であるという気持ちはありますか

あなたはクラスのみんながいてくれてうれしいなと思いますか

3)信頼感

あなたはクラスで大切にされていると思いますか

あなたはクラスのメンバーを信頼していますか

あなたのクラスは自分達で自分達の問題を解決しようとすることができますか

4)貢献感

あなたは人のためにはたらくことが好きですか

あなたはクラスのみんなのために役に立つことができると思いますか

あなたはクラスのみんなを大切にしていると思いますか

 

当然、「はい」「どちらかというとはい」が多いほど共同体感覚が高いということになります。

 

同年代のグループであれば共同体感覚を実感できるグループ。

学校のクラスであれば共同体感覚を実感できるクラス。

部活であれば、共同体感覚を実感できる部活

近隣であれば、共同体感覚を実感できる近所関係

職場であれば共同体感覚を実感できる職場

シニアグループであれば共同体感覚を実感できるシニアグループ

 

そうした場所は、機能不全のマトリックスを修正しうるマトリックスとして機能するのではないでしょうか?一昔前に各地で地域通貨を導入する動きがありました。私もコンサルタントとして2つの自治体で実験的導入にかかわりました。実は地域通貨の目指していたものも、それによって紡ぎ直される地域マトリックスの絆だったのだと今にして思われます。

 

現在、月1回開催している「生きかた知縁カフェ」。こうした自己受容でき、居場所と感じられ、他者を信頼でき、貢献感を感じ取れる、そんな共同体感覚を実感できる場としてのカフェにしてゆきたい、そしてまずは足元からマトリックスを築いてゆこう、と改めて思いました。