ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

新たな認識は新たな世界を生成する~世界内認識の複雑系~

nagaalert.hatenablog.com

フランシスコ・ヴァレラの『身体化された心』を参照し、2013年5月5日のこのブログで私はこう書いた。

すなわち、現実とは自己と世界の間で共創される複雑系であるということだ。
私は今まで相互依存性を右下象限の性質であると何となく理解していたのだ。
しかしそうではなく左上象限との間で共同創造されるものなのだ。
縁起のことをdependent co-arisingと表現し、それを相互依存的連携生起と翻訳した本を10数年前に読んだことがあった。
以降、縁起のことをそのように解釈してきたのだが、今回ここで焦点とされているのは、「心と世界の相互依存的連携生起」なのだ。

そして小林道憲著『続・複雑系の哲学』を読んで、この見解をさらに確信をもって拡充、深化することができた。

新たな認識は、新たな世界を生成する。
認識が変わると、世界が変わるのだ。

ケン・ウィルバーのAQAL四象限マトリクスは「4点生起」するということ思い出し、『続・複雑系の哲学』の論旨を整理できるかもと考え、次のような図を描いてみた。

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各象限が何を表すかはこちらを参照してほしい。

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ゾウリムシ、アメーバーから高等哺乳類に至るまで、あらゆる生き物はよりよく生きるために環境を認識し、エサとなる対象には捕食するために「接近」し、天敵ならば「逃げ」、障害物は「避ける」という行動をとる(認識→行為)。また触手を伸ばし、接近するという行動を通して知覚する(行為→認識)。

動物は天敵から身を守り、卵を産み、子を育てるために巣を作る(行為→環境)。人間は集落をつくり原生林を里山へと改変し、土地を開墾して農地にする(行為→環境)。会社をつくり、新しい製品を生産し消費者に販売する(行為→社会)。消費者ニーズをリサーチし、企業家は行動を起こす(社会→行為)。

社会の構成要素の一つに会社があり、私たちは就職して会社に所属する(社会→私たち)。また私たちの使命感がNPOを設立して社会を変革する(私たち→社会)。

一人のリーダーが新しい認識のもとにグループを作る(認識→私たち)。所属したグループで新たな認識が芽生える(私たち→認識)。

私たちの強い思いが新たな行動を起こす(私たち→行為)。広く呼びかけることで新しいメンバーが加わる(行為→私たち)。社会制度が変わり新たな認識が獲得される(社会→認識)。地域で新たな情報を獲得し、道が作られ橋が架けられる(認識→環境)。

認識が改まり、(行動が為され)、新たな世界が生成する。あるいは新しい認識が、(多くの人に共有され)、新たな世界が生成する。

認識が変わることで、世界は変わるのである。

世界の内にいるものが、世界を認識し、行為する(世界内認識、世界内行為)ことによって、世界が自分自身を形成していくのだ、と小林道憲氏はいう。

(『続・複雑系の哲学』p242より引用)
世界を動かすものが、その世界の中にいる。しかも、そのような行為者を世界自身が生み出しつづける。そのような世界では、世界が変わることによって自己が変わるとともに、自己が変わることによっても、世界は変わる。自己自身の行為は、無限の事象の相互連関を通って、世界全体に及ぶからである。ここでは、自己は世界に包まれつつ、世界を包み、世界に組み込まれつつ、世界を組み込んでいる。
大海原に波が立つことによって舟が動く。と同時に、船が動くことによっても波が立つ。道があるから私は歩く。だが、私が歩くことによっても道は出来る。
世界が動くことによってわれわれは動く。しかし、われわれが動くことによっても世界は動く。われわれは、そのような世界内行為者なのである。

 

小林氏いわく、存在は認識であり、認識は行為であり、行為は生成である。

巻末の言葉はこうだ。

「在ることは知ることであり、知ることは為すことであり、為すことは成ることなのである」。

すばらしい。

存在は生成する。

あなたという存在がある世界とあなたという存在がない世界の違いは、1946年モノクロ映画の名作『素晴らしき哉、人生!』に見るとおりである。

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あなたという存在が、世界を変えた、世界を生成したのである。
あなたという存在と世界はセットなのだ。

そしてさらに、認識が変わると世界が変わる。

ジョージは翼のない天使の見せたヴィジョンにより、世界に対する認識を書き換えた。元いた世界は自分の存在ぬきには成り立たない、とても愛おしい世界なのであった。

そうした認識の変化が、彼の行為を変化させた。前の認識の彼は、お金を失ったことで絶望し、川に飛び込み自死しようとしていたのである。

ところが認識を新たにした彼は、お金を失った絶望など二の次で、元の世界に対する愛おしさにメリークリスマス!を連呼しながら街を走った。友人にメリークリスマス!そして宿敵にもメリークリスマス!妻をはじめ家族にもつらく当たっていた彼であったが、今は家族への愛が戻ってくる(認識→行為)。

そして、妻が街頭で呼びかけ、友人の多くが協力し、市民が大小さまざまな寄付を申し出てくれて、会社は倒産の危機を免れた(行為→世界)。

認識が変わったことで、彼をとりまく状況が変わった。新たな認識が新たな世界を生成した。認識が変わることで世界が変わったのである。

あなたの認識が変われば、世界が変わる。その変わった世界によってまた、あなたの認識は変えられる。

複雑系のふるまい・・・。