ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

病理的・支配的ヒエラルキーとしての森友問題

昨日の元財務相佐川理財局長の証人喚問にまで至った一大スキャンダルの森友問題であるが連日の国会の答弁やマスコミに報道を目にしながら、これはウィルバーのいう「病理的・支配的ヒエラルキー」によって引き起こされた問題であると思った。

 

ヒエラルキー(hierarchy)とは階層構造のことであるが、ウィルバーは自然的ヒエラルキーと支配者的ヒエラルキーを分けてこう述べている。(以下、 「万物の歴史」p47より引用)

 

自然的ヒエラルキーは、たんに全体性の増えていく順序です。例えば、素粒子から原子、細胞、生物体へ、または文字から言葉、文章、段落へ、あるレベルの全体は次のレベルの全体の部分になるのです。

 言い換えれば、通常のヒエラルキーはホロンから成るのです。そこでケストラーは「ヒエラルキー」は実は「ホラーキー」と呼ばれるべきだ、といったのです。物質から生命、生命から心への、事実上すべての成長過程は自然的ホラーキー、またはホーリズムおよび全体性の増える順で起こり―ある全体は新たな全体の部分になる―で、それが自然的ヒエラルキーまたはホラーキーなのです。

  

一方で

 

自然的ホラーキー内のどれかのホロンがその位置を不法行使して全体を支配しようとすると、病理的または支配的ヒエラルキーができるのです。ガン細胞が肉体を支配する、あるいはファシストの独裁者が社会体制を支配する、あるいは抑圧的自我が有機体を支配するなどなど。

 

今回の森友問題では、財務省理財局に何らかの(一応いまの段階ではこう表現しておく)圧力がかかり、その上層とその下部階層である理財局の間に病理的あるいは支配的ヒエラルキーができあがったのだと言えよう。

 

また、『進化の構造Ⅰ』のp39にはこうある。

(以下引用)

もし高位のレベルが低位のレベルに影響力を行使できるなら、高位のレベルは低位のレベルを過剰に支配したり、抑圧したり、疎外さえしたりできることになる。このことがただちに、私たちを個人および社会全体における多くの困難な病理現象の問題に導く。(引用ここまで)

 

まさに森友問題の公文書書き換え事件では、このような高位レベルからの影響力が行使され、理財局を、ひいては近畿財務局を、過剰に支配し、違法行為である決裁文書の改ざんにまで至らせたのである。

(「指示はなかった」と佐川氏は証言したが、内面への影響力が行使された可能性は否定していない)

 

そして、リーアン・アイズラーの言葉を引用して次のように言う。

 支配的な階層とは、力あるいは力の行使の公然または隠然たる脅しに基づいた階層のことである。こうした階層は、低位から高位の秩序に移行する機能組織の進化―例えば細胞から器官、そして生体へ―などに見られる階層構造とは非常に違っている。このタイプの(健全な)階層は自己実現的な階層と性格づけることができよう。その機能が組織の潜在的な力を最大限に発揮させることにあるからである。これに比して、力または力による脅迫に基礎をおいている人間の階層は、個人の創造性を抑圧するばかりでなく、結果として人間の低位の資質を強化し、(慈悲や同情、あるいは真理や正義などの探求といった)人間の高い欲求を組織的に抑圧する社会システムを生み出すのである。

 

今回の事件では、財務省(理財局)の本来あるべき姿が、「力あるいは力の行使の公然または隠然たる脅しに基づいた」支配的な階層によって、機能不全に陥り、その構成員らが本来もつべき「真理や正義の探求といった欲求」が組織的に抑圧されたのである、と言えるのではないだろうか。

 

それが国会の停滞だけでも一年以上におよぶのであるからこの組織の機能不全によって私たち国民の逸失した利益は大きい。

 

そしてこうした病理現象を治癒する方法としてウィルバーはいう。同p40

 あらゆるシステムにおいて、こうした病理現象を治癒する方法は同じである。病理的なホロンを探り当て、階層をもとの調和した状態に戻すことである。階層それ自体を根絶することは治癒にはならない。・・・病気になったシステムを治癒する道は、上昇または下降の因果関係の力を乱用してシステム全体の中で不当な位置を占めているホロンを探り当てることである。これがさまざまな領域に見る治癒の道である。・・・治癒は階層それ自体をなくすことではなく、不当なホロンを探り当て、統合することにある。

 

 森友問題では、この「不当なホロンを探り当てる」プロセスがまだまだ道半ばである。

 

そしてそのプロセスが完了したのち、もとの調和した状態に戻す、あるいは統合するプロセスが進められなくてはならない。

 

ホロンについては、

 リアリティは部分/全体であるホロンから構成されている - ウィルバー哲学に思う

を参照ください。この問題についてはまた書きたいと思います。