義理の母で、お花の師匠でもあった翠月先生が今月初旬に亡くなられました。葬儀では本当にたくさんの供花が飾られ、その一部を持ち帰ることになりました。
また先日、社中のお弟子さんから送り先不在で滞っていた見事なお花が届きました。
この写真はそれらの供花の残りを「ブリコラージュ」して生けたお花です。
100分de名著「野生の思考」レヴィ=ストロースを解説した中沢新一氏によると、ブリコラージュとは、「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る」ことだといいます。
科学的思考では、まず「概念」(ここでは、ある特定の用途にぴったり合うように作り出された知的道具という意)を組み立てることから始めるが、先住民の思考は「記号」を用いているとのこと。
記号には概念とちがってはじめから「ゆらぎ」や「ずれ」が含まれている。言語という記号では隠喩(メタファー)と換喩(メトミー)が基礎になっている。似ているもので表現するのが隠喩(例えば女性を花に喩える)、部分で全体を表現するのが換喩(たとえば帆でヨットを表現する)。
記号は対象とぴったり合致することはなく、たえずゆれ動きをはらんでいる。「ありあわせの道具材料」を記号として用いるブリコラージュでは「でき上ったとき、計画は当初の意図とは不可避的にずれる」。
そしてアール・ブリュット(生の芸術)などの作品の特徴は、「概念的」ではなく「記号的」に素材を組み合わせる自由さにあり、ブリコラージュ的才能を持った人の手になる構築物は、まるで生命を持っているかのように動く、といいます。
私が使うのはおこがましい気がしますが、いろいろな思いを胸に生けたお花でもあるので、写真だけではなく「ブリコラージュ」という言葉とともにここに記しました。
蓮輪翠月先生、ありがとうございました。