ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

卓球の実践によるインテグラルな波及

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卓球をまたやろう!と思い立ち、昨年10月から卓球を再開(ほぼ40年ぶり)、チームを組んで大会に出るなど、この1年間、実践してきた。

 

健康面では体重10kg減、体脂肪率8%ダウン。メタボ予備軍を脱し、血圧、休息時心拍数、血糖値、インスリン抵抗性、CRP中性脂肪、FIB4(脂肪肝の指標)などが著しく改善し、慢性疾患のリスクが大きく低下した。これは4象限マトリックスの〈右上象限:個の外面〉身体領域の成果である。

 

一方、〈左上象限:個の内面〉では練習試合、大会への出場を月1回以上の頻度で組み込むことで、「チャレンジ・ストレス」が実現できている。短期的でコントロール可能なストレスはむしろ対応能力を鍛えてくれ、困難を乗り越えるための技術と自信を身につけることができる、という考え方だ。

 

ストレスに出会ってもチャレンジ反応(challenge responses)で迎え撃つことが可能。そうした人は不安や緊張を感じる一方で、「よし、かかってこい!」と興奮と闘志をかき立て、ストレスをチャレンジと捉えることができるという。

 

筋肉の緊張や鼓動や呼吸にストレス反応が出ていると気づいたら、「これは良いストレスだ。最善を尽くせるようエネルギーを送っているのだ」と意識的にラベルを張り直す。それによって体の反応も変化させることができる。血管が広がって、より多くの血液を脳に送ることができ、体の活力が増大すると言われている〈右上象限への波及〉。

 

〈左下象限:集団の内面〉である人間関係の領域に目を移すと、地域の卓球サークルに所属することが新たな人間関係を形成しつつある(現在は濃淡あるが3つのサークルに所属している)。また、練習試合や大会で何度か顔を合わせ対戦する相手に対し、良い意味でのライバル心も沸き起こる。

私の場合、中学高校時代の仲間とチームを組んで大会に参加し、勝っても負けても試合後の反省会(飲み会)を楽しみにしている。勝てた時の喜びの共有、負けた悔しさの共感。それらは「私たち」といえるスペース、「We空間」を育むことにつながっている。

 

〈右下象限:集団の外面〉社会性はどうだろう?

じつは今年度、私が関わっている小児がん支援NPOの方でフレイル予防のプログラムのひとつとして卓球アクティビティ(通常の卓球が難しい人でもプレイが可能な卓球バレー等を含)を開始した。卓球を社会的役割のプログラムのひとつと位置づけ、動かし始めた。

小児がんに限らず、がん経験者は治療の影響もあって早期老化が進みやすい。適度な運動、バランスのとれた食事、社会参加の3点が老化防止、フレイル予防に重要とされている。

しかし、運動しましょう!1日8,000歩あるきましょう!といっても生活習慣を変える実践はそう簡単ではない。やっていて楽しいことを継続し、それが健康に資するのが一番の近道だ。

シニア向けの健康卓球のコーチをしている人もいるし、卓球療法士といった民間資格も生まれている。健康卓球をスローガンに掲げるNPOも現れてきた。卓球を生業(なりわい)にできる人は少ないだろうが、卓球を通じて一定の社会的役割を担う道はいろいろとありそうである。

 

卓球をまたやろう!と思い立ったのは、私なりの「良知に基づく決断」である。「良知に基づく決断」については、また別の機会に詳しく取り上げる予定だが、人生を振り返ると昭和の終わり頃にした決意のひとつ「中小企業診断士の資格を取る!」も思い起こせばそうであった。もっと遡って中学3年生の時には「加藤諦三の言うように勉強しよう!」という覚悟もそうであったと思う。

 

それは一定の熟成期間を経て、心の奥底から出てくる「この方向は間違いない」、という実感を伴って下される決断であり、覚悟である。

 

そしてそれは、インテグラルな波及をもたらすものだと思う。