ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

『モモ』の道路掃除夫ベッポのことばと「行為の質」


なあ、モモ、

とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。
おそっろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
・・・
いちどに全部の道路のことを考えてはいかん、わかるかな?
つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、
つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。
いつもただつぎのことだけをな。

するとたのしくなってくる。

この心境は日常の中で呼吸に意識を戻すことと同じくらい大切であると以前から思っていました。

トーレのニューアース第9章人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」の「内なる目的に関する対話」のなかに同じ意味のことを詳しく指摘した部分があります。

「大切なのは目的や行動ではなく意識の状態」である。・・・
電話帳のページをめくることの主たる目的はページをめくること。
2次的な目的は電話番号を見つけること。・・・
今この瞬間と自分自身を調和させた時にだけ、
その大きな力にアクセスすることができる。・・・

そしてこれがイエスが「私は自分では何もできない」といった意味で
トーレは「その行為に質が伴うという」ことの大切さを指摘しています。

この点はビジョンロジックのストラテジスト段階(インテグラルジャパンのサイトの記事Vision Logicの3段階を参照)の人になかなか分かりにくい点ではないかと思います。

しかし最近のアスリートがよく口にする「楽しみたい」とは、この意味なのだということを最近思うようになりました。

「行為の質」心がけたいものです。