ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

「グリーン」/「レッド」複合体

昨日に引き続き、偽善を生みやすいブーメリティスのことを取り上げたいと思います。特にこの論点は私自身が無遠近法的狂気に気づいたところでもあり、また私が係わっている医療やNPOの世界でよく認識しておかねばならないことだからです。最近はマスメディアの姿勢にもこうした点を感じることがよくあります。

ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」のP154 にキーワードを見つけました。
「グリーン」/「レッド」複合体という言葉です。以下にその前後を引用します。

 

ベビーブーマー世代は、その人口のかなりの部分が、発達の「グリーン」の波のなかにある、最初の世代であった。「グリーン」の波、すなわち多元主義的で、相対主義的で、ポストモダンである。基本的には「君は君のことをやりなさい、私は私のことをやる」というものだが、・・・しかし、多元主義的な、開かれた態度、他人を裁かない態度というものは、しばしば自己中心的で、ナルシズム的な衝動を活性化させたり、再起動させたり、力づけたりする。こうして後−慣習的段階のテントのなかに、前−慣習段階が行進して入り、すべての低次元のナルシズムに、高次元の多元主義のラベルを貼り付けたのだった。・・・ブーメリティスとは、後−慣習的/世界中心的段階が、前−慣習的/自己中心的段階に感染している状態を指す用語である。あるいはもっと簡単に「グリーン」が「レッド」に汚染されている状態といってもよい。・・
 この「グリーン」/「レッド」複合体は、しばしば、低次元のナルシズム的な、自己中心的な気分や衝動に、高次元の後−慣習的な、世界中心的な、場合によってはスピリチュアルな名前のラベルを貼り付ける。そして実際、自分の自己中心的・ナルシズム的な気分や感情を、非常に高次元なものと考えるようになる。自分のエゴを感じ、エゴ的な感情や、直接的な気分でエゴを表現すればするほど、それだけ一層スピリチュアルであると考えられるようになったのである。(引用ここまで)

 
ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン♪

とは槇原敬之作詞作曲で、SMAPが歌う「世界に一つだけの花」のフレーズですが、どなたかが次のように書かれていました。

そんないい言葉も、言い訳に使われることがあります。ナンバーワンを目指すわけじゃないから、そんなにがんばらなくていい。個性が大切だから、そのままでいいし・・・みたいな感じです。

まったく同感です。
グリーンの多元主義的価値観を自己中心的な衝動の言い訳として使うこと、まさにこれが「グリーン」/「レッド」複合体です。自己中心的な動機に高次元の多元主義的なラベルを貼り付けること、これが偽善の構造なのです。