ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

グリーンを超えて

「グリーンを超えて」は私がブログを書き始めた当初のスローガンのひとつです。私はケン・ウィルバーを読んでそれまでグリーンに重心をおいていた自分を客体として眺めることができるようになりました。自分と同じようにフラットランドで迷子になっている人のヒントになればという思いもあって書き始めたのです。そのグリーンを超える世界観が今回のテーマです。昨日の続きです。(以下引用、拙訳)

TEAL−Integral Systems Worldview 統合的システムの世界観

意識はティールへと成長すると同時に、不可欠なものに気づきます。・・・ティールもまた、いくらかの見解は他より、より正しく、より部分的ではないless partialことを理解します。言い換えれば、全ての見解は対等ではない;深さが存在するということです。
 世界観は今や、発達の深さと増大する複雑性の網目状のヒエラルキー(ホラーキー)として一緒に見られます。ティールは、自民族中心主義が自己中心主義より深く、世界中心主義は自民族中心主義より深いことを認識します。グリーンの世界観はその判断を下すことができないのです。消滅してしまうような以前の世界観などないこともティールは認識しています。それらのすべては進化のダンスのなかで姿を現すのですから、それぞれ(そしてすべての存在は)は配慮と尊敬に値するのです。ティールは深さと幅の両方を理解します。ティールの世界観はより広くてもっと異なる視点を取ることに能力と関心を持ちます。そのことにより、複雑で相互連結的なシステムを使って、もっと効果的に見て、働くことができます(それらが心理学、人間関係、組織の領域に位置しようと、あるいは世界的な機関であろうと)。これは、ティールの高度で活動(operate)する個人にとって、明晰性、創造力、効率性そしてコミュニケーションスキルにおける「由々しき跳躍」(a momentous leap)を生み出します。
 ティールでは、欠乏欲求は存在欲求(欠乏からではなく充溢から生じる欲求)に置き換わります。この段階で人々はしばしば「問題」を創造的な挑戦として展望し、楽天的にwin-winな解決策の創造を探求します。かれらは被害者心理を超えて成長し、自分の経験ではなく他人の経験を強調することができます。感情的にひっかかることなくできるのです。・・・個人は健全な自己への関心と自立意識を身につけ、個人の発達と人々の幸福の両方に関心を持ちながら、意識は存在それ自体の荘厳さを楽しむために解放されるのです。

  TURQUOSE−Integral Holistic Worldview 統合的全体的世界観

ターコイズの世界観はより深くすべてのアイデア、そして自分自身の意味(sense)さえもが、構築されたものであることを、より深く認識します。このレベルの意識の夜が明けるにつれ、人々はすべての概念的なプロセスの限界をおのずと理解します。かれらは、いずれかの視点ではなく、すべての視点の生起するスペースに対して自然に共感的になり始めます。ターコイズは本来備わっている体験の神秘を翻訳する多様な補足的ツールを使うことができます。ターコイズはすべてのレベルの意識の美点(徳)を慈悲深く、それらの限界に目をつぶることなく、正当に評価します。
 ターコイズは体系的な気づきの増大をもたらすだけでなく、個人的自己よりもむしろこれらの体系(systems)そのものと同一化する(一体となる)傾向があります。これは意識のトランスパーソナルなモードのはじまりです。ターコイズの個人は目覚めた状態で、自然あるいはSpritと一体感あるいは「一つであること」を感じ、その豊かさ(潤沢さ)に動機づけられる(魅せられる)かもしれません。
 ターコイズの個人はしばしば、意識の十分な次元性と深さに理解と共感ができる仲間をみつけることが困難であることを見出します。ありふれた思考プロセスでさえ、複合次元的な複雑性だけではなく、人々、生き物、生命システムの本質的な統一性を説明し始めます。彼らは、他者そして世界に対し、より関心をもち、目覚め(させること)を約束し、奉仕に尽力さえするようになるのです。

 
INDIGO and Beyond−Super Integral Worldview 超統合的世界観

インディゴは最初の真の自己超越的な世界観です。人間の自己意識は個人を超えて広がります。署名入りの独自性のなかに、個人的性格を含めながらも、それは個人の人格との排他的な同一化を超えていくのです。まさにその特性によってインディゴの世界観は客体と主体の分離を超え始めます。両方ともが相互連結した統一性の中で生起するのが見られます。このレベルはまた、高く直感的で、柔軟な、そして流れるような経験と現象の関係への移行によっても記されます。インディゴの世界観では存在は根本的に相互連結した織物、そして光、生命、心、出来事、エネルギー、時間、空間の流出の生態として見られます。
 全体は直感的な閃光の中に見られます。ターコイスはヴィジョンを通して考えます(vision-logic)が、インディゴは物事に一緒にひもを通す必要なしに全体を見るのです。生態学的、政治的、文化的な個人を超えた全体を含む、組織的で自己超越的な全体がシンプルに見えます。個人的な自己意識がこれらのより大きなシステムへと開いていき、それらと一体化します。そしてしばしば深遠なOnenessの感覚を感じます。とりわけ、目覚めた状態、粗大な領域でも。
 インディゴの世界観は、粗大な自我意識を、見通すだけでなく、解き放ちます。そこ(vie point)は碇を下ろした基準点、中心であり、そこから関係性とプロセスそして経験の複雑なダンスがいつも見られます。これは個人と相互連結した統一体の間にある緊張とストレスを緩和します。人生は根本的に伸縮する時間の大きさで眺望され、分から年、人生時間、千年、深い時間、本来的な無時間、あるいは純粋な永遠へと並べられます。インディゴの個人はKosmosの中にくつろぎ、誕生、成長、老化、死の自然な流れのなかで、喜びと苦痛を感じるのです。(引用、拙訳ここまで)

 
だんだんと訳すのも難しくなってきました。書いてあることが分からなくなるところが、自分が重心をおいている世界観ということなのでしょうか。思いついたキーワードを並べてみました。

ティールは、
水平的に多様な視点だけでなく、深さを理解する。それ以前の世界観をすべて理解する。欠乏ではなく充溢に動機付けられる。ストラテジスト。

ターコイズは、
照見五蘊皆空。風の谷のナウシカのようなエコノエシス的自己。孤独。アルケミスト。Witness。

インディゴは
ワンテイスト。post vision-logic。道元の「万法に証せらるゝなり」「身心脱落」。主客合一。時間の流れに入らない永遠。

グリーンまでの第一層に対しティールとターコイスは第二層と呼ばれます(インディゴは第三層)。インテグラル・ジャパンの会員誌INTEGRAL LIFEによると、第二層では最も驚異的、驚愕的な特徴が現れるとウィルバーは言っています。それは第一層では「自らのアプローチだけが正しいアプローチである」と信じているが、第二層は、それまでの全ての段階に何等かの真実が存在することをはじめて認識した段階、であるといいます。

現在の米国では三つの価値体系(アンバー、オレンジ、グリーン)が覇権を競って相互に戦争状態にあり、文化戦争(Culture Wars)といえる状況を呈しているが、「第二層」はそれを克服すると、ウィルバーは言っています。それは「第二層」のインテグラル段階では、「直感的にこれまで創発した全ての段階の価値体系に対してアット・ホームに感じることができる」からです。

「発生した人類の重要な変容のなかでも、今回のものは最も重要であり、文化のなかに存在する多様な価値観の全てを内包することを志向する価値観をわれわれは一度も経験したことはなく、(それゆえ)平和的な文化を経験したことがないのはあたりまえのこと。インテグラルな意識はそれに終止符を打つことを約束する」というウィルバーの言葉、とても印象的です。

「グリーンを超える」ことの意味、そしてその意義はとても大きい、とあらためて思いました。