「実践インテグラルライフ」(春秋社)のP477からP480にある「シンプルさを保て」という節に目を通し、大変興味深いと感じました。原著の「Integral Life Practice」ではP362からP364に対応しています。著者が喫茶店でアルバイトをしていた時の実例も描写されていますのでとてもイメージしやすかったです。
本文から印象的な言葉を抜粋させていただきます。
・自らの拙いパターンに気づいた瞬間に実践しようとする自らの意思を尊重する。
・この瞬間を自己の委縮する傾向を和らげるために使います。そして、次なる瞬間を知性と慈悲と勇気をもって積極的に経験します。
・こうした機会はあらゆる瞬間に用意されています。
・すぐれた実践者は…彼らも疑いや恐れという悪魔にとらわれることがありますが、実践という選択肢に気づくとき、すぐにそれを選びとります。
・ある修行伝統においては、まさにこの能力こそが、覚醒するために多くの生を必要とするものと、今生において覚醒することのできる者を分けるものだといわれます。
また、枠で囲っている体験の実例にも次のような印象的な言葉があります。
・ひらめきはまさにそんな時に訪れてきたのです。それはじつに嫌な仕事でしたが、まさにそこに実践の機会があることに気づいたのです。
・私は、習慣化していた心の中の不平不満の独り言を意識的に邪魔することにしました。何かに少しでも自分が怒りを抱いていることに気づいた時には、一呼吸して胸と腹の緊張を解くことにし、客に心からのサービスをするという気持ちを掻き立てたのです。
・私はフリをし続けましたが、しばらく経つと、それはフリではなくなり始めまたのです。…くりかえし、くりかえし私は不機嫌な気持ち以外のものを選び続けました。そして、私はそれを発見したのです…コーヒーを提供するという、このシンプルで謙虚な行為のただなかに。他人にサービスするということは、本質的に充足感をもたらしてくれるということを。
・そして数日が経過すると、すばらしい気持ちに充たされ始めたのです。
・それは一つの転換点(turning point)となりました。
・真に重要なのは、機会が訪れたときに、自身の不機嫌な気持ちを、行動を通して切り裂くということなのです。(the big benefits come from cutting though my bad mood, through action, whenever I get the chance.)
すばらしい境地ですね。怒りや恐怖など不機嫌な気持ちに陥った時に、「お〜とっと、今こそチャンス!ここが真価を発揮するところと思え」ということでしょう。本当にそう考えると「こうした機会はあらゆる瞬間に用意されています」よね。でも1回2回とこうしたことを意識して気づきを入れたとしても成果が上がらないと、もっとよい方法はないかとまた青い鳥探しに出てしまうこともよくある話です。もうこういう堂々めぐりは卒業しましょう。そして気づくだけでなく行動を通してbad moodを切り裂くのです。
そしてここにはサービス(奉仕:service)というもう一つの大切な要素があります。頭をよぎったのは何故ケン・ウィルバーが、学位を目前に大学院を退学して2年間皿を洗い続けたのかということです。
「インテグラル理論入門Ⅰ」(春秋社)のP8にケンの言葉として、こう書かれていました。
「私は、もっとも単調な肉体労働の価値を尊重するという禅の発想に非常に惹かれていました。…私は意識して肉体労働にとりくんだのです。…これは非常に素晴らしい教育の機会でした。それは何より謙虚であることについて私に教えてくれました。学位については忘れるのです。書籍や論文については忘れるのです。肩書については忘れるのです。すべてを忘れて、二年の間皿を洗い続けたのです。」
ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくるベッポ爺さんが掃除をしている姿が目に浮かびました。
このserviceは、私がまだ消化しきれていないスピリチュアル・モジュールの帰依もしくは献身(devotion)との関係において整理されなければならないと考えています。それはまたの機会に譲りたいと思います。
とにかく今回は
「ネガティブな瞬間にこそ実践を選択する能力」を高めよう!
あらゆる機会をとらえて、そして行動を伴ってそれを選択しよう!
です。
そしてその後に訪れるfeel really wonderful(実はこれが最大のポイントかもしれません)を私もぜひ体験してみたいものだと思いました。