ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

マインドフルネスの日

今回はティクナットハンのThe Miracle of Mindfulnessという本から、「マインドフルネスの日」を紹介したいと思います。きっとマインドフルネスに対するイメージが広がると思います。(以下引用拙訳)

A Day of Mindfulness

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毎日、毎時間、人はマインドフルネスを実践すべきである。それは言うは易しいが、実行することは難しい。だから私は瞑想セッションに来た人たちに、皆さんは週に一日をとってマインドフルネスの実践に専念しましょう、という。原則はもちろん毎日、毎時間すべきである。しかし実際にそこまで行ける人はほとんどいない。家族が、職場が、社会が私たちの時間の全部を奪っていくという印象を私たちは抱いている。だから私は一週間に一日、例えば土曜日を確保しましょうと、奨めているのだ。

もし土曜日をそうするなら、土曜日は全くあなたの日にしなければならない。その日一日中あなたは完全に主だ。そのとき土曜日はあなたをマインドフルネスの実践の習慣へと持ち上げてくれるテコとなるだろう。平和の共同体あるいは奉仕の共同体で働く人は皆、仕事がどんなに急いでいようと、そんな日をもつ権利を有している。私たちは考えないといけないことや、しないといけないことでいっぱいの暮らしの中で、それなしではすぐに自分自身を見失ってしまうだろう。そして私たちの対応も次第に役に立たないものになっていくのだ。選んだ日が何曜日であろうと、それをマインドフルネスの日として考えることができる。

マインドフルネスの日を開始するために、目覚めたときに、今日は私のマインドフルネスの日だと思い出す方法を明確にしなさい。天井あるいは壁にマインドフルネスという単語を書いた紙か何かを吊るすのもよい。あるいは松の枝でも、何か目を開けたときあなたに示唆する何か、そして今日は自分のマインドフルネスの日だと分かるものを。今日はあなたの日だ。それを思い出しながら、あなたは微笑む。おそらくあなたは完全なマインドフルネスにあることを断言する。それは完璧なマインドフルネスを育む微笑みだ。

じっとベッドに寝そべっている間、ゆっくりと呼吸を続けなさい。ゆっくりと長く、意識的な呼吸を。それからゆっくりとベッドから起き上がり(いつものようにすぐに跳ね起きるのではなく)、すべての動きによってマインドフルネスを育みなさい。一度起きたら、歯を磨き、顔を洗い、静かにリラックスして朝することをすべてやりなさい。すべての間はマインドフルネスのなかで行われる。呼吸をフォローし、それを保つように、考えが散り散りにならないように。各々の間は静穏に行われる。静かで長い呼吸によってステップを測りなさい。いくらか笑みを保ちながら。

少なくても30分は入浴しなさい。時間までゆっくりとマインドフルに入浴しなさい。そうすれば明るくリフレッシュした感じがするでしょう。あとであなたは皿洗い、掃除、テーブルを拭くこと、床をゴシゴシふいたり、棚の本を整理したりするような家事をするかもしれません。仕事が何であれ、ゆっくりと楽に、マインドフルネスのなかでそれをしなさい。どの仕事もそれを片づけてしまうためにやってはいけない。リラックスしたやり方ですべてのアテンションをもって、それぞれの仕事をやるのだと決意しなさい。楽しんで仕事と一体になりなさい。これなしには、マインドフルネスの日は全く価値がないといえる。仕事がマインドフルに行われるなら、それがやっかいなものだという感じは間もなく消えるだろう。禅の師の例を取り上げよう。彼らが行う仕事や動きが何であるかに関わらず、彼らはそれを嫌々ではなくゆっくりと平静に行うのだ。

実践を始めた者たちには、一日を通して沈黙のスピリットを維持することが最も良い。そのことは、マインドフルネスの日に全く話してはいけないことを意味するのではない。あなたは会話できるし、さらに歌うこともできるが、もし会話し歌うなら何を言っているか、何を歌っているのかを意識した完全なマインドフルネスの中でそれをしなさい。そして会話や歌うことは最小限に。自然に、歌うことと同時にマインドフルネスを実践することは可能になる。歌っていることと、何を歌っているかに気づいているという事実に意識的であるなら。しかし、歌っているときや話しているときは、あなたの瞑想の強さがまだ弱いなら、マインドフルネスから簡単に離れてしまうものなのだ。

昼食のときには自分のために食事を用意しなさい。マインドフルネスの中で食事を調理し、皿を洗いなさい。午前では、家の掃除と整理整頓をした後に、午後では、庭仕事をし、雲を見て、花を集めた後に、お茶の用意をして、マインドフルネスの中で座り、お茶をいただきなさい。これをするのに十分な時間を取りなさい。仕事のブレイクにコーヒーをごくりと飲む人のようにお茶を飲んではいけません。ゆっくりと敬意をもっていただきなさい。あたかもそれが回転している星の地軸であるかのように。ゆっくりと平静に、先へと急ぐことなく。実際の瞬間(actual moment)に生きなさい。この実際の瞬間だけが人生です。未来に執着してはいけない。せねばならないことをあれこれ思い煩ってはいけない。何かをするために起き上がって離れることを考えてはいけない。(今ここの中心から)「それること」を考えてはいけない(Don’t think about “departing”)。

Be a bud sitting quietly in the hedge
Be a smile, one part of wondrous existence
Stand here. There is no need to depart.
This homeland is as beautiful as the homeland of our childhood
Do not harm it, please, and continue to sing . . .
(“Butterfly Over the Field of Golden Mustard Flowers”)


夕方、あなたは経典を読んだり、句を写したりするかもしれない。友人への手紙を書いたり、一週間の義務以外の何かをしたりするかもしれない。しかし何をするにせよ、マインドフルネスの状態でしなさい。夕食には少しだけを食べなさい。夜遅く10時か11時ごろ坐って瞑想する時、お腹が空いている方が容易に坐れるだろう。その後、夜の新鮮な外気の中を、ゆっくり歩き、マインドフルネスな呼吸を続けながら、ステップで呼吸の長さを測る。最後に部屋に戻って、マインドフルネスの中で眠りなさい。

どうにかして、仕事をしている人たちそれぞれに、マインドフルネスの日を認めてもらう方法を見つけねばならない。その日は本当にすばらしい。そしてその日以外の日への効果も測り知れないほどだ。10年前、こうしたマインドフルネスの日のおかげで、Tiep Hien Order(ベトナムのコミュニティ)のChu Vanと我われの仲間たちは、多くの困難を通り抜けて自分自身を導くことができた。私には分かる。週に一日そんなマインドフルネスの日をもつようになって3ヶ月もすると、人生の大きな変化をあなたは見るだろう。マインドフルネスの日が週の他の日へと浸透していき、最終的にあなたは週の7日間をマインドフルネスの中で過ごせるようになるのだ。そんなマインドフルネスの日の大切さ、あなたはきっと賛成してくれると私は確信する。(引用ここまで)


いかがでしたでしょうか?

「どの仕事もそれを片づけてしまうためにやってはいけない」というのが大切なポイントですね。

2月6日のブログ(「焦り」と対極にある「道」)でも書きましたが、食器洗いのような雑事は無意識にやっかいなことだと感じて、早く済ませようとしてしまいます。

「焦り」と対極にある「道」 - ウィルバー哲学に思う


しかし早く済ませて一体どこへ行こうとしているのか?もちろん、せねばならない何か、行かねばならない何処かが後に控えていることもあるでしょう。しかしなにも後に控えていなくても無意識に「こんなことは早く済ませよう」とすることが習慣になっています。

それをティクナットハンはそうではない、食器を洗っている「ここ」が、掃除をしている「今」が、actual momentであって、私たちのhomeだと言っています。

そう、エンデが『モモ』で描いた「ベッポじいさん」です。

『モモ』の道路掃除夫ベッポのことばと「行為の質」 - ウィルバー哲学に思う


ここでも、掃くことと、セットになって「呼吸」を意識することが出てきます。

するとたのしくなってくる

ベッポじいさんはいうのです。

そう、この感覚です。その時のベッポはたんに掃除をしているのではないでしょう。丹田に重心があり、しっかりと大地にグランディングし、完全に敏なる状態と化しているのではないでしょうか。

そうか!これが、「あたかもそれが回転している星の地軸であるかのように」することの意味です。


ちょうど明日は土曜日、一度あなたも「マインドフルネスの日」をやってみてはいかがでしょう。