ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

在り来たりな日常の中に微細をみつける


2009年以来、その丑年の元日に書初め(※1)して以来、今日までの最大の収穫は「微細」を習得しえたことだ、と気づいた。

近年は瞑想をしていない日中でも意図すれば微細に入ることができる。

 

今年は、微細を一日3回、体験するように努めてみよう!

昨日は卓球しているさなか偶然に遭遇した。

これからはもっと意識的に微細領域に出入りしよう。それを毎日3つ思い出して日記に書く。

 

ポジティブ心理学によると、

「よいこと日記」(three good things)の習慣(一日3つ、良かったことを思い出して書く)が幸福度を上げる、

という。

ならば「微細日記」(three subtle things)に挑戦してみよう!どんな効能が顕れるだろうか。

 

高校時代は、勉学と部活を両立させるための「おーとっと」(※2)や、親密な異性との、とりとめない会話から生じたりした。

しかしそれらは、なんとか手探りでつかんだ偶然の産物でしかなかった。

 

しかし今はそれを意識的に迎えることができる。坐ってなくとも、車を運転していても、微細を味わうことができる。日々積み重ねていかねば。

そして、これこそ新年の抱負にすべきと思う。

 

一昨日は若冲の紅梅を掛けた書斎を妻と片付けた。空間のエントロピーを下げる、これも微細に入りやすい環境づくりだ。

年始から晩酌をしない習慣ができ、夜の瞑想が可能になった。このことも大きい。

一日3回、微細に入り、日記に残そう!何でもない日常の中にそれがある。

なんでもない日常か…… もう少し気の利いた言葉はないか。

 

ありきたりの日常…

 

「ありきたり」を検索すると「在り来たり」と出た。

「在り来たり」の語源をみてみると…

あり(在り・有り)」は「存在すること」、「来たる」は「し続けて現在にまで及ぶ」を意味すると。つまり「もとから存在し続けてきたこと」「今まで通りであること」とあり、転じて「ありふれていること」「珍しくないこと」になったという。

 

「在り」が「来たる」のか… しかも日常すなわち「日々常に」…

この「在り」とは、トールのいうBeingではないか。

意外にも「在り来たり」と「微細」がこんなふうにつながった!!

 

微細は常にすでに在り来たりていたのだが、心がざわついて、今までそれに気づかなかったのだ。

 

在り来たりな日常の中に微細をみつける

それは、常にすでに、在り来たりていた微細を、日々の中にみつけること。

 

これを新年の抱負にしたいと思います。

 

※1

書き初め スタンドスティル - ウィルバー哲学に思う

 

※2

調子を良くする「おーとっと」 - ウィルバー哲学に思う