ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「うすらぼんやり」見る

玄侑宗久さんの「禅的生活」に意識を拡散したまま集中している状態として「うすらぼんやり見る」ことの奨めがでてきます。雪舟の描いた達磨さんの絵をみて、

眼があんなふうに面壁していると、それはすぐに眼そのものの疲労につながる。いきおい眼差しはぼんやりとして「見るともなく見ている」感じになってくる。半眼ではあるが目を開いて坐禅するのはそのためだ。

 


とあり、

見るともなく見ているとき、人は全体を見ているのであり、そのときの意識はすでに普段の理性的なあなたではない。

 


と書かれています。これは清水先生の「場所中心的自己」の視点であり、宮本武蔵の「観の目」で「うらやかに見るべし」と同じでしょう。

そして「うすらぼんやり見る」方法が紹介されています。

目の前に人差し指を立てた手を30センチくらい離して置き、はじめはその指をみる。

そして次にその指を含んだ景色全体を「うすらぼんやり」眺める。

そうすると指が2本に見えてくる。

その指の像は、向こう側の物を透かして半透明になっている。

試しにその状態を保ったまま、腹を立てよう、あるいは不安を感じようとしてみても、それは無理で感情に伴った身体状況が得られないから、感情は定着できない。

体はリラックスし、生命力は最大になる。

 
要約するとこのように書かれています。

この部分を読んで、松永さんが紹介していたフェーミ博士の研究でアルファー波の同期が起こるオープンフォーカスと同じだなと思いました。同時に3D画像の見方とも似ていると思いました。

美、芸術、自然神秘主義などに共通するスタンスのような気がしました。人の視線ではなく自分の眼差し、常に意識したいものです。