ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。苦悩を乗り越えるヒント、自己実現、自己超越を促す一助となれば幸いです。

存在することのシンプルな感覚

大文字の自己と対象の自己を脱フュージョンする

脱フュージョンのイメージ 前稿のまとめで〔円相]に「脱フュージョン」(Cognitive Defusion)という単語を入れた。 私たちが事象をみるとき、本来は中立的ともいえる出来事に、主観的な評価を貼り付けて、昨日は良いことがあったとか、今日はとんでもない目…

ネガティブとは逃げず闘わず、チェス盤と同一化する

ポジティブとネガティブが闘うチェス盤 この稿を書こうとしたきっかけは、『One Taste』の「アテネへの切符」というウィルバーの日記の次の文章が気になり、幾度となく目を通したからである。 (以下、『存在することのシンプルな感覚』p127より抜粋) P. …

目撃者と火の鳥のまなざし

2000年以降の人生で、私がもっとも救われたのは、ウィルバーの「目撃者」(Witness)である。この週末にも、エゴの情動を揺さぶる穏やかならぬ小さな出来事があった。そこで枕元の『存在することのシンプルな感覚』第1章「目撃者」を再読した(何百回目かの再…

純粋に空なる意識(Pure empty awareness)

前回の元日のブログを検証しようと思って『存在することのシンプルな感覚』からきっかけとなった文章を改めて確認し、他にもわが意に近い文章はどれであろうかとページをめくってみた。 まず、「状態」という表現のきっかけとなったのはp119-p120の以下の文…

状態に気づいている「状態」

あけましておめでとうございます。初ブログを書きました! **************************** 元日の朝の目覚めのあとにどのような言葉が頭に浮かぶのか? これは自分自身としても、興味があることだ。 2018年の初夢ならぬ初想起、…

徹底的な安心感とマトリックス

平成29年6月10日のブログで吉福伸逸氏のいうマトリックスのことを書いた。それはエネルギー源の提供、徹底的な安心感、排泄物の処理という3大機能をもち、子どもの成長とともに子宮から、母親、そして家庭、自然界や仲間、会社へと移行していく。 nagaalert.…

1/allではなく、all/allとして観るために

『〈仏教3.0〉を哲学する』のp218で藤田一照さんがいいます。 (以下引用) それで二つの自己というのを、すでに内山老師は言っていて、僕らは普通には1/all(オール分の1)という自分を自分だと思い込んでいるっていうんですよ。これが今までの議論だと平…

「自己ぎりの自己」とワン・テイスト

前回の続きです。 『〈仏教3.0〉を哲学する』p110に出てくる内山興正氏の描いた第5図について永井均氏はこう話されていました。 「わが生命」は中に入っていないで、外に出ているんです。その一員として何かヤリトリはしていないで、その様子を外から見てい…

〈私〉と、疑いようのない意識

ケンウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』(The Simple Feeling of Being)は、訳者松永さんも言われたように最終章がたいへん素晴らしいのですが、私は「目撃者」とタイトルがふられた第1章にも大いにインスパイアーされました。その中に『〈仏教3…

〈自己=世界〉と「常に現前する気付きの意識」

『仏教3.0を哲学する』のp110、P111に描かれている第五図、第六図がとても興味深いです。この絵にあるような「自己ぎりの自己」すなわち〈自己=世界〉を実感を持って確立するためにはどうすれば、あるいは「どうあれば」いいのだろうかということを改めて考…

次元を行き来するヘキサキューブ、元旦の夢

新年あけましておめでとうございます。 元日に新しい会社の商号「経営マトリクス研究所」のマークの初夢を見た。これは正夢である。 2次元平面に描く正六角形(ヘキサゴン:hexagon)は、3次元の立方体(キューブ;cube)にも見えるという考えてみれば不思議…

無我とは本質なき実存、主体としての空

〈画像はintegrallife.comの Integral Mindfuinessより〉 藤田一照氏、永井均氏、山下良道氏鼎談『〈仏教3.0〉を哲学する』を見ております。 第1章に、「無我と本質と実存」という節があり、たいへん興味深く読ませていただきました。主に永井氏によるコメン…

離れ内、近く外〜自己認識の変容〜

福は内、鬼は外 節分の豆まきの言葉であるが、家の玄関を境界として、幸福をもたらしそうなものはどうぞお入りください、不幸をもたらしそうなものはどうか外へ、という掛け声である。しかしながらそうすると、外の世界は鬼ばかりいる怖いところになってしま…

Aware Presenceと、Ever-Present Awareness

ルパート・スパイラはその著書『プレゼンス』のなかで、「わたしとは誰か、なにか?」という問いに対して、「わたし」とは「Aware Presence(気づいている現存)である」といっています。 これと似た表現にウィルバーのEver-Present Awarenessがあります。 …

観察者としての自己の成長

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)を構成する6つの要素(注)のなかでは、「観察者としての自己」が最も重要なのではないかと思う。 「観察者としての自己」の視点が定着し成長するとどうなるのであろうか? ケン・ウィルバーの「存在する…

Meというスーツを脱いで「背景にある感覚」に気づく

昨日から今日にかけて2つの英文ブログ(エリック・トンプソンとエックハルト・トールの最新記事)を読んだ。「いい内容だ」という印象と、互いに共通する点もあるなあと感じ入り、日本語訳を残したい思いもあって、気づきのあったことを含め、以下に書かせて…

Waitingに気づく、そして存在することのシンプルな感覚

引き続きエックハルト・トーレのいうThe Egoic SelfをDalal博士の解説でみて行きます。 Looking to the Next Moment―Waiting いつもwantingとneedingの状態にある必然の結果として、常に未来に生きる傾向をもたらす。 人は、今この瞬間に喜びや満足を見出す…

Absorptive−Witnessingその2、主客転倒せよ!

前回の続きです。 アイデンティティの最も高いStageであるAbsorptive−Witnessing段階の特徴の二つ目は、「目撃認知へのアクセスの増加」(Increased Access to Witnessing Cognition)です。P153のこの節を読み、これと関連したP77の「認知の発達ライン:ポ…

非‐時間、非‐空間としての「今、ここ」

眠る前にいつものように「存在することのシンプルな感覚」を読み返していて、「ここはちょっとマークしておかないと」と思い、さらに翌日、「そうか分かりやすいな、ここ」「原文はどう書かれているのかな」「いままで見たなかで一番完璧な『今、ここ』の説…

目撃者の視点を常に保つ Running as the Witness

前回のブログで取り上げたthe 3 Body Workoutでcausalなボディを一定に保ち、その上にsubtleボディとgrossボディを乗せていく一連の流れをみましたが、一体それはどんな感じかをもう少ししっかりとインプットしたくて、思いを巡らしました。動きを伴いながら…

見られるものは見るものではない、そして自由

見られるものは、見るものではない 最初にこの文を読んだときは、正直言ってどういう意味かよく分かりませんでした。 しかし、主体、客体という言葉に代えて読んでみると分かるようになりました。 見られる客体は、見る主体ではない さらに客体を対象という…

あらゆる手立ては「それ」を遠ざけるだけ

ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」P265~P266から書きとめておきたい印象深い部分を抜き出しました。 あらゆる手立てというものが、実際には「それ」を遠ざけるだけのものであり、「それ」に対する抵抗であると本当に悟った時、抵抗のメカニズム…

今、ここ NOWHERE

ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」P336に次のようにあります。 次元や延長をもたない点、持続や日付をもたない瞬間、それが「絶対」である。それはどこにもなく、あらゆるところにある。これが偏在〔あまねく、ある〕ということの意味である。絶…

本来面目(Original Face)

「永平の風」を読んでいます。映画禅ZEN の原作です。 2009年01月12日(月)「道元のOne Taste」でも取り上げましたが、道元の歌 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷し(すずし)かりけり は「本来面目(ほんらいのめんもく)」という題であったことを…

もはや脅かされない

ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」P282 グレース&グリットからの抜粋である以下の部分を読んで、トーレの「Milton’s Secret」の最後の部分との共通性を感じました。 苦しみの原因は、切り離された個別の自己の欲求や執着にある。それを終わらせ…

片手の拍手

この文章だけですべてをあらわしているのではないかと思われるくらい、すばらしい文章がありました、というかすばらしい文章だったんだ、とあらためて気づきましたので紹介します。 私なら「トロピカルフィッシュの泡音♪」と答えそうな「片手の拍手とは?」…

ロマン派のまちがい

私はウィルバーの著書と出会うまえ(万物の歴史を手に取ったのは7年前なので、それ以前の頃ですが)自然農法やパーマカルチャー、自然エネルギー、地域通貨にどっぷりはまったグリーンでした。自分では気づきませんでしたがロマン派の影響を強く受けていたと…

死ぬ前に死ぬ人は・・・

死ぬ前に死ぬ人は死ぬときに死なない とは西谷啓治がハイデガーのの論文解釈のなかでいったことばのようですが、(「老子の思想」張錘元/著P232)道徳経第五十章「大死と道」の解説のなかで取り上げられています。 ウィルバーの「グレース&グリット」にも自…

実は客体などなかった!

「世界をありのままにみる」ということと「エゴをみる目撃者」をどう統合すればいいか、整理しきれていなかったのですが、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」(元は意識のスペクトル)にこうあります。(P212 原書P144 ) 「見者」すなわち「あな…

道元のOne Taste

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」は良寛や川端康成も愛誦したという道元作の和歌ですが、映画の中では、たしか時頼との問答の中で一度道元が詠み、その後永平寺に帰る道元を見送るときに、時頼も詠んだと記憶しています。 ウィルバ…