ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

〈生態−認識的自己〉が〈大きな織物〉の糸に還元される病理

私がはじめてケン・ウィルバーの著作を手にしたのは「万物の歴史」でした。あの「眼からうろこが落ちた」と感じたのはどこだったか?3日ほどパラパラめくっていて、先ほどやっと見つけました。完璧に書かれています。すばらしいです。まず、p302にこうありま…

認知療法の自動思考

配偶者や子どもなど大切な家族との死別をきっかけにうつ病を発病することがあります。そしてうつ病になった人は自殺を企てることが少なくありません。うつ病にならないように、そしてうつ病になっても回復させる治療法の一つに認知療法というものがあること…

パウロのいう神の平安は躁的防衛か?

1月7日のブログに書いたように、配偶者や子どもなど自分と同一化していた親しい人を悲劇的に喪失した場合に、当初感じた苦悶や激しい恐怖に代わって、ふいに「いまに在る」という聖なる意識、深い安らぎと静謐と、恐怖からの完璧な自由が訪れることがある、…

完全なる充溢

朝、瞑想をしていました。 坐ってすぐに額から、いつもの感覚が広がっていきました。 心がしゃべる小さな自分を目撃しようと、努めました。 気付いて目撃すると、おしゃべりは止まります。トーレの 書いている通りだなと思いながら、その思考も目撃し続けま…

自伝的記憶が形成したアイデンティティとの同一化をやめる

今日は4月11日に続いて「わたし観の転換Ⅱ」を書きたいと思います。 私たちは「私とはこのような人だ」と考えるとき、そのベースとなる自分の過去の出来事の記憶を持っています。このような記憶を自伝的記憶といいます。自伝的記憶は次のように説明されていま…

思い出してきた、「今ここ」の感覚

Eckhart TolleのThe Power of NOWを読んでいて、「今ここ」にあるときの感覚として「ぴったりと静止している」と書いてあるところ(和訳p96)があり、その部分を読んでからある感覚を思いだしました。 わたしは中学、高校と卓球をしていたのですが、その卓球…

「過去」、「未来」はなく、「いま」しかない、ことについて

過去は記憶として思考のなかで体験され、未来は予期としてやはり思考のなかで体験される。 過去や未来を、直接に、見たり、聞いたり、匂ったり、触れたり、味わったりすることはできない。 このように(五感を通して)直接体験できるのは過去でも未来でもな…

「気をとられている」ことに気付く、ことから

訳者の松永太郎さんがケンウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」のあとがきで次のように書かれていますところがあります。 “Presence”とは「現前」と訳されるが、それは「今、ここにいる」ということである。日本語では「気をとられる」というが、私…