ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

本来面目(Original Face)

「永平の風」を読んでいます。映画禅ZEN の原作です。 2009年01月12日(月)「道元のOne Taste」でも取り上げましたが、道元の歌 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷し(すずし)かりけり は「本来面目(ほんらいのめんもく)」という題であったことを…

無意識に心が何かを求めて

無意識に心が何かを求めている状態はないでしょうか? テレビのチャンレルをどんどん変えて、それでも見たい番組がなくて… というような時があります。 何か少しイライラしていたり、退屈だったりする時に、少しでも自分をいい気持ちにしてくれるものを無意…

「私たち」という奇跡

ウィルバーのインテグラル・スピリチュアリティの第7章のタイトルは『「私たち」という奇跡』です。これは、AQALの左下の象限についてそれを内側から見たゾーン3と外側から見たゾーン4について書かれています。この象限についても一定の理解をしているつも…

本音とペインボディの混乱

本音とは本心から出た言葉であり、本音を漏らすとか本音を吐くというように、従来はネガティブな文脈で使われることが多かったように思います。しかしながら最近は「本音で語ろう!」や「本音トーク」というように、包み隠さず本心を出すということで、それ…

心を鏡のように用いる

「存在することのシンプルな感覚」の最後の章「常に現前する意識の輝くような明晰性」は本当にすばらしい。どこもいいのですが、今日は目撃者がどのように目撃するのか、を荘子の言葉を引用して書かれた部分があるので取り上げたいと思います。 (以下P364よ…

ケンタウロスとuncontrollable

ウィルバーの「意識のスペクトル」では、ペルソナと、投影された影を統合して健全な自我を回復した後、自我(心)と身体とを統合してケンタウロス(心身統合体)に至ります。これは無境界(非二元、統一意識)に向かう途中のアイデンティティ拡大の1プロセス…

What to do ではなく How to be

私たちは事体が望ましくない状況であるとき、いったい何をすればいいのだろうか?と考え、悩む傾向があります。事体を望ましい姿にもって行くために必要なことを洗い出し、優先順位を決めて実行しようとします。 経営の世界でも一定の未来(例えば3年後)の…