ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「気をとられている」ことに気付く、ことから

訳者の松永太郎さんがケンウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」のあとがきで次のように書かれていますところがあります。

“Presence”とは「現前」と訳されるが、それは「今、ここにいる」ということである。日本語では「気をとられる」というが、私たちはあまりにも多くの思考に占領されているように感じてしまい、それに気をとられていて「今、ここにいる」ということがめったにない。けれども、心をそれ以外に居場所のないところに落ち着けてみれば、ちょうど、蛙が飛び込む水の音に気付く時、あるいは蝉の声に気付く時、すなわち「今、ここに」気付く時、全世界が出現するように、「二のない一」者が「現前」しているのである。

 


この部分を読んで、
ぽちゃ、という「蛙飛び込む水の音」、
それは「屋根の上で鳴いたリスの声」(p380)、であり
それは道元の「屋根をたたく黒い雨」(p158 p260)、と同じだ

と気付きました。これはわたしが高校時代に試みていた自分の調子をよくする方法「お〜とっと」(と自分では呼んでいました)に共通するものがあります。

心が勝手にしゃべるように、いつも何かに気をとられている、その状態に気付くこと。坐禅の「喝!」のようなタイミングで蛙の飛び込んだ水の音が耳に入り、「今ここ」に意識が引き戻される。そしてその時、(どのようにしてか、今の私にはわかりませんが)一如の世界が出現するのだということです。
特に、「今ここ」に気付く時、「全世界が出現する」という松永さんの表現が印象的です。Eckhart Tolleの絵本Milton’s Secret でおじいさんが両手を広げてMiltonに話したシーンを思い出しました。

“Pay attention to what’s around you, Look…listen.” Then, spreading his arms as wide as he could, Grandpa said, ”This is the Now.”

そしてそこに出現した世界は主体、客体の分離のない非二元の世界で「それがあったところに、わたしはなった」という究極の想起(リ・メンバー)により開示される世界…。
本当にすばらしいですね。
まずは「気をとられている」ことに気付く、ことからはじめたいと思います。