ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

スピリットの3つの顔 The 3 Face of Spirit

今回はMeditation Practiceの4つめであるThe 3 Face of Spiritを取り上げたいと思います。
スピリットの3つの顔とは、3人称のスピリット、2人称のスピリット、そして1人称のスピリットを指します。邦訳「インテグラル・スピリチュアリティ」では『第7章「私たち」という奇跡』の中で少し紹介されましたが、今回のILPではp211からさらに詳しく取り上げられ、金星実践の一つとなっています。以下いくつか抜粋してみました。(以下拙訳)

3人称の黙想(contemplation)では、あなたはItを見ます。あなたは存在の究極の神秘に対するあなたの目、心、知覚を開いて、そして詳細と特質に気づきます。(例えば、パターン、エネルギー、色、質感、そして自然の場所、生きもの、その他生きているものの輪郭、あるいは哲学で示された視点でさえも、Spiritの3つの顔についてのこの議論を含めて)黙想の中であなたはSpiritとKosmosの完全性に気づきます。それの豊かで奇跡的な―粗大、微細、元因という多次元性の中で。このヴィジョンによって動かされた人は、しばしば積極的に他者とSpiritに奉仕します。
 よく知られている例では、芸術、自然神秘主義、哲学的そして神秘主義的黙想、奉仕、です。善良さへの道が作動するのです。

2人称の祈りと交流(communion)では、あなたは存在の究極の神秘との親密な接触へと開かれ、ItはThou(汝)になります。あなたは比喩的な意味で神、あなたの究極の愛、と出会い、究極の意識を知る(包み隠さず)ことができるようになります。あなたの感覚のプロセスの中で、ハートと魂は、非接触あるいは無反応でいることはできません。あなたは、あなた自身に恩寵あるいは存在の神秘の祝福を受け入れることを許します。あなたは開かれ、深まり、そして明け渡す(surrender)のです。
よく知られている例は、祈り、現前する神への心からの同意(heartfelt consent)、献身的な歌(devotional song)、礼拝(worship)、儀礼(ritual)、そして奉仕です。バクティヒンズー教サンスクリット語で献身の意味)ヨガの道。

1人称の瞑想では、あなたはあなた自身を、SpiritのIである、と知るようになります。記憶、思考、知覚、そして願望との、すべての限界のある同一化を手放します(you let go of all limited identifications with~)。そして意識的に、ここ、今のI AMnessとして目覚めます。あなたは現前するすべての瞬間として、Selfとして、存在の神秘の不可分なアイデンティティとして、目覚めます。すべての概念さえも超え、時として真如と呼ばれるものへ、あるいはすべてのもの、すべての人と別つことのできない空性へと目覚めるのです。
 よく知られている例としては:Big Mind、ヴィパッサナー、只管打座、ゾクチェン、ニルバカルパ、そしてサハジ・サマディ;無形瞑想のすべてのアプローチ。
 多くの実践は、これらの視点の二つかそれ以上を結合したものです。(拙訳ここまで)

このスピリットの顔3つがどれも大切であるとウィルバーは言っています。しかし、現在のアメリカでは2人称のスピリットが抑圧される傾向があり、その問題の重大性が「インテグラル・スピリチュアリティ」で指摘されています。以前にここを読んだときフッと「これは、私だ」と感じて、本にメモしました。その部分を少し見てみましょう。(p233〜p234より抜粋)

今日の「ニューパラダイム」におけるスピリチュアルな動きのなかでは、私たちはまさに反対の問題を見ている。二人称のスピリットの完全なる喪失である。私たちは、三人称の神の記述をたくさん見出す。ガイア、生命の網、システム理論、カオス理論、など。それは、スピリットの一人称の様態と結びついている。瞑想、観想、大我、ここには、私たちがひざまずき、献身すべき、偉大なる汝は不在である。・・・二人称としてのスピリットの次元を見ないということは、あなた自身の世界内存在の次元を抑圧する、ということになる。
 現在のアメリカでは、偉大なる汝の抑圧は、ブーメリティスの問題と結びついている。「生命の網」としても三人称、あるいはビッグ・マインド(大我)としての、一人称のスピリットを強調すれば、私がひざまずくべき対象はなくなる。エゴはたくみに一人称と三人称の間に隠れることができる。私はまっすぐに「私‐私」へ行き、そこにはひざまずくべき「あなた」はいない。・・・ヴィパッサナー、禅、只管打座、ウェーダーンタ、TM瞑想などでは、私の内面において、高次元の「私」に出合うことはあっても、私よりも偉大なるものと出会うことはない。しかし、高次元の「汝」に出会うことがないと、いつも、それほど微細とはいえない「私」への固着が付きまとう。このために、単なる一人称としてのアプローチは、しばしば非常に深いところでの傲慢さをぬぐいさることができないのである。(抜粋ここまで)

ここまで読んで、ウィルバーにまたもや完全にノックアウトされた、と感じたことを思い出しました。「神話的な神は放棄しても二人称の神を放棄することなかれ!」という忠告を大事にしたいと思います。その観点をもちながら、以下のGold Star Practiceを見てみましょう。(以下ILPの249〜251ページより抜粋拙訳)

Gold Star Practice
The 3 Face of Sprit

すべて一緒にそれを取り上げること。
3人称の黙想から、2人称の交流(あるいは祈り)、そして1人称の瞑想はすべて統合的なスピリチュアル・ライフに備わった次元です。もしそれらのうちどれかが含まれていないとすると重要な何かを失うでしょう。私たちは個別の1人称、2人称、そして3人称の実践を行うことができます。あるいはそれらをみんな一緒にしてthe 3 Face of Spritのような単一の瞑想実践として実習することもできます。
・・・

スピリットの3つの顔と瞑想する
あなたは数分だけ、あるいは1時間かそれ以上the 3 Face of Spritに従事することができます。あなたはまた、3人称の黙想、2人称の祈りあるいは交流、1人称の瞑想という211p‐212pの黙想と瞑想とともに深い専心に入っていくこともできます。
 3つの視点すべては、短くシンプルな単語や文言を使うことで、思い起こすことができます。注意が漂うときはいつでも、そして実践に戻るときはいつでも(1人称、2人称、あるいは3人称であれ)単語や文言を使うことができます。それは心身の全体が、究極なるものと再びつながるのに役立つでしょう。そしてこのようにして瞑想に戻るのです。
 1人称にとって、有用な短い文言はI AMです。私たちはまたMyself, Just This! Awareness, Presence, あるいはMirror Mindを使ってもかまいません。
 2人称のためには、面と向かい合って、私たちは神の名称を使うことができます。Thou、Beloved, My love, Jesus, Allah, Amitabha, Mary, などなど。
 3人称の名前や文言は、スピリット、Kosmos、リアリティ、Is-ness、完璧、ガイア、進化、などなどです。
 この瞑想実践は、以下の通りです。

1. 呼吸に注意します。
2. あなたの3人称、2人称、1人称の究極なものとの関係を、それぞれの単語あるいは短い文言で、繋いで固定し(anchor)ましょう。
3. 自然発生的に、あなたが機会に気づいたときはいつでも、そして十分に究極なるものへの気づきの感覚を伴っていようとも、それらの単語あるいは文言をどれでも呼びましょう。

 ボディ、マインド、そして感覚において、3人称の究極なるものとの関係を繋いで固定することから始めましょう。Itを体験しましょう、この3人称の関係を呼び出し、表現するためにあなたが選んだ単語あるいは文言によってそれと関係しながら。その言葉は例えば、Kosmos。
 それから、究極なるものと向かい合う十分な感覚をもって向きを変え(turn)ましょう。あなたの十分な2人称の親密さを想定し、そして呼吸に、ボディに、マインドにそして感覚にそれを記録させながら、この2人称の関係を呼び出し、表現するためにあなたが選んだ単語あるいは文言によってそれと関係しながら。その言葉は例えば、Beloved(最愛の)。
 それからあなたが全く非分離の―あなたの究極なるものとの、そして究極なるものとしての1人称の同一化との―認識に開かれるまでその親密さを深めましょう。そして呼吸に、ボディに、マインドにそして感覚にあなたの究極なるものを記録させながら、この1人称の理解を呼び出し、表現するためにあなたが選んだ単語あるいは文言によってそれと関係しながら。その言葉は例えばI AM。
それから、呼吸に気づきながら、ただ座っていましょう。任意に、あなたの心が彷徨う時はいつでも、まったき充溢の感覚をもって。あなたの1人称、2人称、そして3人称の究極のリアリティとの関係を表現する3つの単語のうちの一つあるいは短い文言を唱えながら。
鍵となる重要なことは、あなたと共鳴する言葉を選ぶことです。ここに提示されたものに加えて、その他の言葉も自由に選びましょう。大切なことは、あなたにとって示唆に富む(心を揺さぶる)文言を使用することです。
数分、単一の文言を繰り返し、自由に感じましょう。もしあなたがそうしたいなら好きなだけ、あるいは瞑想のセッションのすべての間でさえそうしてもかまいません。他の単語や文言が自然発生的に湧き上がってくるまで続けていてOKです。
このように瞑想するとき、私たちは究極なるものとの関係において、ある視点あるいはもう一つの視点から何度も何度も、共振しています。私たちは静寂の中に座り、耳を澄まし、すべての視点を通して、私たち自身を究極なるものへと開示するのです。(抜粋拙訳ここまで)


いかがでしたか?なかなか、私には2人称のスピリットというのは馴染みがありません。そんな中で明け渡し(surrender)や奉仕(service)には何かヒントがあるような気がしています。最後にAdditional Moduleの1つでもあるServiceに関する文章を紹介して終わりたいと思います。(以下、ILPP293より抜粋拙訳)

Service
感謝の気持ち(glad heart)を伴う奉仕は、人生を維持し、スピリットを持ち上げるエネルギーに入り込む直接的な方法です。私たちが最も十分に受け取ることは、本当は与えることの中にあります。幸福な人生の核となる秘密の一つは、誠実な意図をもって奉仕の意識的な実践をすることです。すべての人は他者に尽くします。しかし奉仕のスピリットにおいてそれに接する(approach)のは全員ではありません。そして奉仕は他の人々に対するだけでなく、動物、植物、環境、システム、そして自然世界全体へと広がることが可能です。あなたの献身的(devotional)な人生が本物に(authentic)そして充実したものになるにつれ、奉仕は、行動に向かうその献身的なスピリットを運ぶための方法であり、あなたの身体を使って、最愛のKosmosとの交流(communion)を成立させる方法なのです。