ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

「意味を再構築する」ことで乗り越える

死別をはじめとして対象喪失による悲嘆に対してどのようにアプローチすべきか?

従来は小此木啓吾氏の対象喪失の理論や、パークスやキューブラーロスの悲嘆が段階とともに回復していくようなアプローチを想定していたが、周りの当事者の方々から現状に合わないという声が聞かれていた。

そして半年前ぐらいから注目しはじめたのが「構成主義的なナラティブ」によるアプローチである。

ロバート・A・ニーマイヤーの「喪失と悲嘆の心理療法」のあとがきで訳者の富田氏によってこう記されている。

本書は編者も述べているように構成主義(constructivism)という新たな視点から死別、喪失、悲嘆といった問題に取り組んだ意欲作である。それでは構成主義とはいったい何であろうか?…一言でいえば、「個人の世界観は個人を取り巻く状況や環境を、個人がどのように構成していくか」ということである。・・・“世界”(客観)が“わたしたち(主観)”から独立して存在しているとは考えていない。つまり客観的な事柄は、“ひとびと”の言葉によってどのようにも描写可能であるという点で、(社会的構築主義と)共通した思想を持つ。



つまり客観的な実在を否定し、私たちがそれを「どのように意味付けするか」ということに重きを置くということだ。

ここでピカッときたのは意味構築活動("meaning-making activity")だ。そのことをたしか鈴木規夫さんが書いていたな、などと思い出していくうちに、ロバート・キーガンのThe Evolving Self(未訳)に行きついた。

The Evolving Self : Problem and Process in Human Development 

書評では、ざっとこんな感じのことが書かれている。

The Evolving Selfはもっとも基本的で普遍的な心理学上の問題―経験を意味づけようとする個人の努力、人生の意味構築―にフォーカスしている。ロバート・キーガンによれば、意味構築とは幼児期から、少年、青年、成人に至るまでの一連の段階を通して進化を続ける生涯にわたる活動だ。The Evolving Selfはこの進化のプロセスを豊かに、人間的に詳細に述べたものだ。特に成長と変化、つかみうる勝利だけでなく代償と混乱といった内面経験に集中して書かれている。
 私たちの意味構築活動の核心においてこの本が示唆するのは、自己と他者の間の境界を繰り返し描き出していることだ。私たちがどのように自分自身を意味づけするかということの意味を見出すためピアジェ理論を創造的な新しい方法で使うことで、キーガンは各々の意味構築段階が新しい解決であることを提示する。それは関係性、愛着、包容という人間の普遍的な憧れと、一方で他者と異なり、独立した自律的存在でありたいという思いの間にある生涯にわたる緊張(葛藤)に対する解決だ。・・・



むむ、この時点ですでにCook-GreuterのConstruct-Aware段階へシナプスが繋がった。David Loyの「The World is made of Storeis」もそうだ。

しかしそれらの連想の話は次回のブログに譲るとして、今回は「意味の再構築」ということを少し考えてみたい。

「意味の再構築」が悲嘆に対する答えのひとつとなりうるのだろうか?

「意味の再構築」とは何だろうか?

関わっているNPOの昨年度の「ネットでeクラス」(テレビ会議システムを利用した学習支援)の事業の一環としてアンケートを実施し、本支援活動がどのような局面で活用されると意味があるのかを、医師や特別支援学校の教員に尋ねた。
(最近まとめた。http://www.es-bureau.org/submenu/sub7-a.htm

・入院中だが院内学級を利用できない生徒には大きな意味がある。
・退院したが自宅療養中の生徒にとって意味がある。
・登校できる日数や時間が少ない生徒には意味がある。
・復学した者の授業について行けない生徒には意味がある。

などなど。

こうした回答を集計することによって、eクラスという活動の「意味の再構築」はなされた。以前は復学後に孤立する小児がん経験者の交流活動に大きな意味があると考えてきたのだが、それだけでなく「入院中に教育を受ける権利が守られていない生徒」に対しても、大きな意味をもつのであったのだ。

私はもともと経営コンサルタントを生業(なりわい)としてきたが、経営コンサルタントとは、クライアントである企業に対して「意味の再構築」というサービスを提供していたのだと気づいた。

ある企業には、経営理念と新規事業を提案してきた。

それは、「その事業を通じてどのように社会貢献するのか」という、企業の存在価値の意味の再構築であった。

ある企業では、中長期計画を策定するだけでなく、新しいスローガンを提言した。それは、その事業が顧客に何を提供しているのか、単にモノやサービスではない、どんな価値を提供しているのかを再構築した表現だったのだ。

企業は、顧客の方を向くだけでなく従業員、株主、地域、環境など多くの関係者に矛盾なく経営を説明しなければならない。

これは言葉を変えれば、多視点的なナラティブ、すなわち多視点的に整合した意味の再構築が求められるということだ。

(ナラティブには、基礎的なナラティブ、複雑なナラティブ、多視点的なナラティブがある。http://beyonddescription.blog57.fc2.com/blog-entry-126.htmlを参照)

現在、われわれのNPOではプロボノを活用したウェブサイト再構築プロジェクトをスタートさせた。

プロボノとは新しいボランティアの手法で「知識労働者が自分の職能と時間を提供して社会貢献を行うこと」だ。

現在のNPOのウェブサイトには、いくつかのターゲットが存在する。

直接サービスを提供している患児・家族や喪失家族の他に、医療者や教育関係者、CSR部門をもつ企業、そして個人の寄付者など。

そうした5つから6つのターゲット層にむけたメッセージを多視点的なナラティブとして織り上げるのだ。よい意味で玉虫色に。

そして先日、「個人の寄付者」(潜在的寄付者を含む)について、具体的なターゲットとして「団塊の世代」を設定した。

団塊の世代と小児がん患児家族支援団体のホームページ。

一体どんな関係があるのか?

ここでは詳細は触れないが、新しいメンバーを交えた研修会議の甲斐あってか、結果として見事に「意味の再構築」がなされたと思う。あとはそれを表現していけばよい。

我われの団体が、団塊の世代に贈れるものがあるのだ。

そこでまた気づいた。PTGとは「ポジティブな意味の再構築」の実例であるといえる。

昨年に取り上げたPTG(ポスト・トラウマティック・グロース)は、苦難のイベントが成長をもたらすことがあるという理論の研究だ。

そしてそれは、そのイベントの意味を再構築することに他ならない。

キ-ガンのいうように「各々の意味構築段階は新しい解決」なのだ。

(同時に次の局面では問題の種となるものでもあるが、それはともかく)

フランクルに学ぶ」の著者である斎藤啓一氏は新著「ホロガリズム心理療法入門」の中でこう書いている。

ポイントとなる視点があります。それは人生を全体としてとらえ、その展開の流れに着目することです。そうすると、そこにある種の物語が展開されている感じを受けることがあります。この物語を完結するという発想で見ていくと、クライアントの人生のテーマが浮き彫りになり、いま抱えている病や苦しみの意味や目的に気づき、どう乗り越えていけばよいか分かってきたりするのです。

これは強制収容所フランクルが自分の人生の意味のビジョンを直観したプロセスでもある。

今年度の喪失関連の事業では「意味を再構築することで乗り越える」をキーワードに、新しいガイドブックを作りたいと考えている。