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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

未来との共同体感覚

アドラー 共同体感覚

NHKの「100分de名著」2月の放送は、昨今ブームのアドラーが取り上げられました。解説はベストセラー「嫌われる勇気」(135万部)の著者で哲学者の岸見一郎氏です。25分(番組)×4回=100分で名著を読み解いていきますが、その第4回のテーマは「共同体感覚」でした。

 共同体感覚とは

われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することができない。・・・そこで、人は弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。

 この「他者と結びついている」ということが、アドラーのいう「共同体感覚」の意味ですと岸見一郎氏はいいます。

 ドイツ語ではMitmenschlichkeit(ミットメンシュリッヒカイト)。Mitmenschen(ミットメンシェン)は仲間という言葉の原語だそうです。

すなわち、仲間としての他者と結びついている感覚が、共同体感覚です。

 戦争をはじめとするこの世の争いごとすべてが、共同体感覚の欠如によって引き起こされているといっても過言ではない、と岸見氏。

 アドラーも、「自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である」といっています。

 他者を敵として見るのではなく、他者(他民族、他国家)を仲間として見ることができるなら、人類の幸福につながるということでしょう。

 

そして共同体感覚における共同体とは

 さしあたって自分が所属する家族、学校、職場、社会、国家、人類というすべてであり、過去、現在、未来のすべての人類、さらには生きているものも、生きていないものも含めた、この宇宙全体をさしている。

 とアドラーは定義したといいます。

 人類までは理解できるような気がします。生きとし生けるものすべて、そして生きていないものすべてというカテゴリーも人類の生存基盤である生命圏(バイオスフィア)まで視野を押し広げて考えるなら理解できないことはないでしょう。

 しかし、過去と未来まで含めた共同体というものをどう考えればいいのだろうか?と考えていました。

 そして、昨日、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」を見ていて、200年続いた老舗の木材商の女将で祖母役の大地真央が、主役の常子に送った最後の言葉を聞いて、思わぬところでシナプスがつながり、これか!と思いました。

木材ってのは、いま植えたもんじゃない

40年、50年前に植えたものが育って商品になる

だから植えたときは自分の利益にならないのさ

それでも40年後に生きる人のことを思って植えるんだ

次に生きていく人のことを考えて暮らしておくれ

 「次に生きていく人のことに思いを馳せられる」、これがまさに「未来との共同体感覚」です。

私は2000年ごろに再生可能エネルギーの普及浸透に関連した自治体のビジョンづくりの仕事をしていたのですが、「温暖化が進行し、2100年頃には地球の気温は数度上昇して気候が暴走、大きな問題になる」というようなことを住民の説明会で話すと、「自分たちは死んでしまってるから関係ないや」というような声が必ず聞かれました。このようにしか思わない人はまさに「未来との共同体感覚」が欠如しているのです。

原子力発電所の核のゴミの問題も同じでしょう。何万年も分解されない危険な核廃棄物でも地中深く埋めてしまえば数百年、数万年先のことはどうでもいいじゃないかと考える人は、「子々孫々の世代との共同体感覚」が欠如しているのです。

インディアンは、常に、7世代先の子孫のことを考えて自然と共に暮らしていた、という話を読んだことがあります。

 「未来との共同体感覚」とは、まだ見ぬ世代の幸福を仲間として願う気持ちなのだと思いました。

 

次回は過去との共同体感覚について考えてみたいと思います。