ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

「千の風になって」と「空」なるあなた

千の風になって」についての感想を少し書きます。

新井満さんの訳詩は

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

となっています。

それに対して、鎌章二郎という人の訳詩は

I am a thousand winds that blow.
私は 千の風です。
I am the diamond glints on snow.
私は雪の上のダイヤモンドです。
I am the sunlight on ripened grain.
私は豊饒の実りに降りそそぐ陽の光です。

のように書かれています。

私は、どちらかというと後者のほうがしっくりきます。
満さんの詩のように「○○になる」と表現するのと鎌さんのように
「○○です」というのではかなり違います。
「○○です」は「なった○○」を含んで超えているのではないでしょうか。

ケン・ウィルバーの松永さんによる訳で例えば次のような文があります。

あなたは大地である。あなたは雷である。太平洋を一息で飲み込むことができる。
エベレストを手の上に載せることができる。超新星があなたのハートで渦巻き、太陽系があなたの頭のかわりとなる。
あなたは「一者の味わい(ワンテイスト)」である。起こること一つひとつ、そのすべてである、空なる鏡であり、まったく透明であり、無限で、永遠で開放すら超えている、それが・・・あなたである。
(「存在することのシンプルな感覚」第1章 目撃者より)

こちらのほうが私は感動します。