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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

死ぬ前に死ぬ人は・・・

存在することのシンプルな感覚 Self(大文字の自己) 脱同一化 空(くう) 道元

死ぬ前に死ぬ人は死ぬときに死なない 


とは西谷啓治ハイデガーのの論文解釈のなかでいったことばのようですが、(「老子の思想」張錘元/著P232)道徳経第五十章「大死と道」の解説のなかで取り上げられています。
ウィルバーの「グレース&グリット」にも自己の死について以下のように書かれています。(「存在することのシンプルな感覚」P231より以下引用)

あなた自身の存在のなかで大きな「自己」が復活するために、
小さな自己は死ななければならない。
キリスト教では、・・
イエスの死と再生は、神秘家によれば、分離した自己の死と、
意識の流れからの新しい永遠の命の復活の元型である。
・・このプロセスは・・小さな自己から大きな「自己」・・への転換
であり、メタノイア、悔い改め、変容と呼ばれている。
イスラムでは死と再生はタウバ(tawbah)すなわち「悔い改め」
あるいはガブ(galb)すなわち「変容」と呼ばれている。いずれも
アルビスタミの「自己を忘れることは、神を思い出すことである」
という簡潔な言葉に要約される。
ヒンドゥでも仏教でも死と再生は個別の魂の死と、自己の本性
へ目覚めることとして描かれる。自己の本性とは、ヒンドゥでは
ブラフマン仏教では純粋な開けPure Openness(空または
シュニャータ)として比喩的に語られる。実際の再生ないし突破
の瞬間は、悟り、ないし解放として体験される。
・・この転回とは、分離した頑強な自己を創り出す習性が解体
され、そこに広大で、広々とした、透明な意識のみが残ること、
である。この転回(あるいはメタノイア)を禅では悟り、または
見性という。(引用ここまで)

 


なるほどすごくよく分かりますね。すなわち自己とは小さな自己(=エゴ、自分が普通に自分と考えている自分)と大きな自己の二重構造になっており、小さな自己が「死ぬ」あるいは自己を「忘れる」(これは道元の「自己を忘るるは・・」に通じる)ことによって、その大きな自己が顔を出す、あるいは大きな自己に気づく。

道徳経第七章に「人が自己の状態に達するのは無自己によってではないか」とあります。これを西田幾多郎は自己と無自己の統一は「絶対矛盾の自己同一」であると表現したようですが、まったく同じことを言っていることが分かります。

グレース&グリットにはトレヤが「情熱的な無執着」に努め、まさに死ぬ前に死のうとしたようすが描かれているのだ・・・、とあらためて思いました。