本日はご多忙の中をMの葬儀にご参列いただきまして誠にありがとうございます。
親族、遺族を代表して一言ご挨拶申し上げます。
Mさん(享年83歳)は平成11年に脳梗塞を患いました。
そして、歩くことと話すことが不自由になり、しばらく歩行器を使っていましたが、その後は車椅子での生活となりました。
5年前、平成19年に奥さまのTさんが亡くなられました。Mさんのショックも大きく、その頃からでしょうか、認知症が進行しました。
認知症には脳血管障害型とアルツハイマー型があるとのことですが、Mさんの場合は脳血管障害があって血流が減少することから結果としてアルツハイマーになり脳が細るという混合型認知症と診断されていました。
3年前から自宅での生活が困難となり、特別養護老人ホームの施設に入りました。
施設に入ってから職員や他の利用者とのコミュニケーションの機会も増え元気になったように見えました。
しかし1年前には呼吸が突然止まって救急車で運ばれるなど、だんだんと弱ってきておりました。
3か月前ほどから拒否的行動が多くなり、心身ともに衰弱していると施設から報告を受けていました。
毎月1回は施設を「外出」して自宅に連れて帰り、仏壇にお参りをして、昼食を取り、家の周りを散歩をするということをしてきましたが、一昨日の食事中に誤嚥を起こし、14時5分、T病院で息を引き取りました。
脳梗塞で倒れてからの、Mさんのこの13年間は一体何だったんだろう?と昨晩考えておりました。
自分だったらどうだったか?
Mさんのように生きられただろうか?
歩くこともできず話すこともできない、そんな不自由さの中で13年も生きることができただろうか?
認知症で物事が分からなくなっていくなら、生きていても仕方ないというようにおっしゃる方もおられます。
本当にそうでしょうか?
Mさんはそんな不自由さを受け入れながら、失われていく身体の機能に執着することを手放していったのだと私は思います。
そして食べることとか、手遊びで遊ぶこととか、散歩するといった、ささやかな日常の中に喜びを感じながら最後まで生きたのだと思いました。
認知症の進行によってかどうか分かりませんが、無垢で無邪気な少年に戻っていったような気がします。
そして今はその不自由な身体から解放され、やっと楽になったことでしょう。
Mさん、本当にお疲れさまでした。(合掌)
これをもってお礼の挨拶とさせていただきます。
本日は皆様、本当にありがとうございました。<(_ _)>。
以上は、19日の土曜日に私が喪主を務めた葬儀の挨拶です。
喜びを感じながらと表現しましたが、そこで私の頭に浮かんでいたのは藤城清治さんの影絵を切るイメージです。
Mさんは、しゃべれない、歩けない不自由さと、曖昧になっていく記憶の中で、自分を明け渡して(surrender)行ったのではないでしょうか。
その明け渡しとともに、俗世のしがらみのような自己の殻が剥がれ落ち、それに代わってシンプルな生命の脈動そしてその喜びがしだいに生起してきた、なぜかとてもそんな気がしたのです。
ヘルパーに手遊びしてもらっているときの表情や、散歩で久しぶりの人に出会ったときの笑顔などは、言葉が必要ないほどに彼の喜びが相手に伝わるようでした。
これはヴィクトール・フランクルのいう「態度価値」ではないでしょうか。
「創造的価値」は期待すべくもない不自由さの中にあって、彼が素朴に体現したもの、体現できたものがありました。
人生の意味がそこに存在していたのです。
Mさんは私たちの呼びかけに徐々に気づかなくなって行きました。もう私たちのことも分からないのか?そう思っていました。しかしそうではなかったのです。
気づかなかったのは私たちの方であり、曇っていたのは私たちの眼でした。
心の中で生き続けてくれる叔父Mを、私はこれからこのように呼びたいと思います。
喜びの感覚をもって不自由さと共に生きた人、M
(合掌)