ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

瞑想の感覚2

日記をご無沙汰していましたが、久しぶりに深い感じの瞑想をしたので書きます。
最初はテレビを見ながらゆっくりと入っていきました。眉間に意識が集まった感じで楽になり、もうテレビはいいというところで切って、最初は少々思考も頭をめぐったりしながら・・・。感覚としてまだ呼吸が上ずっていたので呼吸を少し観ていました。

呼吸の吐く量が増えるような感じはどこからするのだろうと、意識していたのですが、やはりどこからか、ほとんど吸っていないのに一方的に吐く感じになります。どこにこんなに息が残っていたのだろうと思うほど吐くほうが多い感じになります。

ふっと宇宙に放り出された感じと、高いところから落ちそうで危ない危ないという感じです。体は気持ちいいです。ほんとに気持ちいいよな、という感じ。

Stillness Speaks のp50にある「こうすると身体は、揺れ動く感情と思考の水面下にある、より深い生命の感覚に通じるドアへと変わります」というところを思い出しました。でもまたその感覚に浸っているとその感覚に同一化しているという矛盾に気づきます。不安も感じます。ストレスも感じます。何か糸くずのよなものとしてそれらの緊張を対象化し、同一化しないように観ます。するとまた落ち着く感覚が戻ります。・・・

目を開けて戻りますが、身体はすぐに動く感じではありません。指を1本1本動かして、徐々に戻ります。グルッと寝転んで大きな背伸びをします。背伸びが「出る」という感じ。背中から頭にかけて脳内モルヒネ(?)のような感覚が走り、しゃきっと元に戻ります。