ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

行為のさなかに在る自分に気づく

前回のブログでポスト・トラウマティック・グロースを達成する上で、苦悩をPTGに導くために「気づき」は極めて重要なもののひとつであることを見ましたが、それはエニアグラムの理論にも合致するといえます。


エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ」の原書The Wisdom of the ENNEAGRAMにはChapter 4として「気づきの涵養(Cultivating awareness)」という章があります(邦訳書では省略されています)。
7月20日のブログでみたように失業や、離婚、死別、健康や金銭の大変な状況など重大な人生の危機が生じた場合、性格の各タイプは不健全なレベルへと落ちていく危険性が高いのですが、そうではなく、一方的に下方向に落ちていくことから、切り返して上方向へ舵をきらせるようなコペルニクス的転回を導くものとして、「気づき(Awareness)」の重要性が述べられています。


その一節、“Catching ourselves in the act”を「行為のさなかに在る自分に気づく」と訳しました。その瞬間の自分を現行犯で捕まえるというようなイメージです。内容的にかなり重要なことが書かれている部分なので、抜粋して少し紹介したいと思います。(以下引用拙訳)

“Catching ourselves in the act”
世界中の神聖な伝統は、私たちの変容に対して目撃者に在ることの重要性を共通して強調している。私たちは油断なく、自分自身を観察し、自分自身と自分の行為に気づいていること(to bring mindfulness)を求められる。もし魂のこの地図から恩恵をこうむりたいと望むなら、私たちは気づきの技術を涵養せねばならない。判定することなく言い訳することなく、それぞれの瞬間においてもっと生命に気づくようになることを学ぶのだ。私たちは自分の性格の指令に従って行動してしまっている「行為のさなかに在る自分に気づく」ことを学ぶべきだ。どのように私たちが刻一刻と機械的に拘束されたように(言動や表情を)表していることかを理解するのである。
私たちが、自分の今の状態を完全に、判定することなく体験するために、自分がいましていることに気づけるとき、古いパターンは脱落しはじめる。
 変容のワークにおいて気づきは極めて重要である。私たちが、習慣が生じると同時に(as they are occurring)それを分かる時、その性格の習慣はほとんど完全に手放せるのだから。
過去の行いを分析することは役立つ、しかし今この瞬間に在る自分自身を観察することの方がパワフルである。例えば、伴侶ととても不快な議論をした理由、仲間や子どもにいらいらした訳を理解することは確かに価値がある。しかしもし私たちが議論をすると同時に、いらいらすると同時に、突然「行為のさなかに在る自分に気づく」なら、非日常的な何かが起こるだろう。
気づきのその瞬間に、私たちがわずか数秒間を費やせば、その問題のある行動を本当にしたいことではないと悟れるのだ。私たちはまた、自分の状況についてのより深い真実を理解するかもしれない。―例えば、私たちがしきりに「重要なポイント」を強調したがるのは、本当は自分を正当化したいだけ、あるいは人に仕返しをするための悪い隠された企てであった。あるいは私たちが楽しんでいた「機知にとんだ発言」は、本当は悲しみや孤独の感情を避けようとする試みだったのである。
 もし私たちがこの感じにとどまることができるなら、気づきの意識は広がり続けるだろう。私たちは最初に当惑と恥じらいを感じるかもしれない。私たちは衝動をシャットダウンしたいと感じたり、あらゆるやり方で気を紛らそうとしたりするだろう。しかし私たちが不快の今ここにとどまれば、何か他のものが湧き起るのを感じるだろう。もっとリアルで、可能性があり、鋭敏で、素晴らしく自分自身と周囲に気づいた何かが。
この「何か」は、慈悲深くそして強くて、我慢強く賢明であり、不屈のそして偉大な価値を感じるものである。この何かとは私たちの実際の姿である。それは名前を超えた「I」であり、性格をもたない、私たちの本質なのである。(引用拙訳ここまで)



いかがでしょうか?この“Catching ourselves in the act”「行為のさなかに在る自分に気づく」は、私の言葉でいうところのまさに「お〜とっと」そのものです。「私たちが、習慣が生じると同時にそれを分かる時、その性格の習慣はほとんど完全に手放せる」のです。

これは、例えば、何かを考えながらいつの間にか早くしかもたくさん食べてしまっている時に「お〜とっと」と気づいて、よく食べものをみて芳香を楽しみ、それをゆっくり噛んでじっくり味わうという、意識的な食事を取り戻すことです。

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あるいは急いでいるのにエレベーターが来ないとき、イライラしかけている自分に気づき、呼吸を意識して、額に感じる快い圧迫感にくつろぐことです。

「過去の行いを分析することは役立つ、しかし今この瞬間に在る自分自身を観察することの方がパワフルである」と著者は言います。これが第一層と第二層の境目かもしれません。

そしてこの“Catching ourselves in the act”は全タイプを通して大変重要なキーワードであるらしく第Ⅱ部の各タイプの説明の中で、どのタイプにも共通して次のように書かれています。(以下拙訳)

タイプ8(タイプ1〜9も同様)のほとんどの人は、彼らの人生のいくつかの時点で次のような問題(本文ではタイプ毎に生じやすい問題が描かれている)に遭遇するだろう。これらのパターンに気づくこと、「行為のさなかに在る自分に気づくこと」、そして根底にある生活の習慣的な反応をシンプルに理解することは、私たちのタイプの否定的な側面から自分を解放するのに大いに役立つのだ。



1月10日に書いたブログ

感情に気づきエネルギーに昇華させる - ウィルバー哲学に思う

ILPのシャドウ・モジュールのTransmuting Emotionに類する実践として、日常の中で心掛けたいと思います。