ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

心理的柔軟性を失ってはいないか

昨日、「そうか!自分は心理的柔軟性を失っていたのだ」と気づきました。

10月に内面的にやや切羽詰った状況(以下、状況Aと呼びます)があり、それが軽いトラウマになっていたのでした。

考えてみると不思議な気がします。

ネガティブな状況Aを経験して、そうしたことはもう御免だと考えることから、そんな状況Aに陥らないような防御策、あるいは陥っても大丈夫な防御策を講じます。

しかしながらそうした防御、頑なともいえる防御が、心理的柔軟性を失わせ、結果として自由で軽やかな心の動きを阻害していたのです。

状況Aは過去には起こりましたが、今この時点では想像であり、空想の産物です。

しかしトラウマティックに印象に残っているため、過敏に反応してしまうのです。

起こってもいない状況Aのイメージが心に浮かび、それに対応策を講じるのに必死だったわけです。

どんな動因が自分を動かしているのかに気づくことは極めて重要です。

最初は、その防御策の妥当性ばかりを検証していました。コンテンツの合理性ばかりに注意が向いていたのです。

しかし、そうした防御策を講じようとしている心そのものに問題があったのでした。

アスリートがテクニカルな修正にどっぷりつかってしまっているのに似ています。

うまく実力を出せなかったときに、例えばビデオを観て、ここでこうなっていたから失敗したんだ、とかいうように分析します。課題が分かったと言います。

そしてそうしたことが今後起こらないように、練習して修正します。

それはそれで大事なことなのですが、内面を見つめてみると気づくことがあります。

合理的でテクニカルな対応だけでなく、自分の意識に上ってくる観念という敵に適切に対応することが大切なのです。

その観念という敵は望ましくないネガティブなものです。

では適切に対応するとは、どうすればいいのでしょうか?

それがあることを認めた上で、手放す、です。

そうした思考が頭に浮かぶこと自体を避けてはいけません。

そうした思考がないかのようにふるまうのも間違いです。

そうしたイメージが浮かんだことを認めた(アクセプタンス)上で、闘うのでなく、闘おうとして握りしめているロープを手放す(Letting go)のです。

そう、今年の流行語、Let It Goです。

それが心理的柔軟性を取り戻す方法であるとACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)で学んだはずです。

ネガティブな観念が浮かんだことにマインドフルに気づきます。

また来たね、と言ってやりましょう。

そして、でも君とは闘わない、と言いましょう。

気づかせてくれて、ありがとう、さようなら、

「今ここ」に引き戻させてくれて、ありがとう、さようなら、と言います。


今回も自分へ言い聞かせ、忘れないために書き留めました。

心理的柔軟性を失ってはいまいか?

折に触れて自問したいと思います。