ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

いつも「意識を意識しておく」

コトバで表現すると何を言っているのか分からないようなことですが、この感じを何とか是非とも書き留めておきたいと思い、書いています。

日常のなかで、いつも、四六時中、どんな時でも、なんと言っても、大切なのは、「意識を意識しておく」ことだということです。

Be aware of the Consciousness!

あるいは

Be conscious of the Awareness!

でしょうか。

このことは、ジムでウォーキング・メディテーションにトライしているときに、気づきました。

先ごろ、名古屋国際女子マラソンで五輪銀メダリストのキルワと終盤までデッドヒートを演じ、惜しくも2位になりましたが、初マラソンで日本歴代4位のタイムをたたき出した安藤友香さんの走りとイメージが重なります。「忍者走り」と高橋尚子さんは解説されていましたが、この安藤さんは「意識を意識する」、そんな感覚で走っているのだ、と直感しました。

この状態では、頭に浮かぶコンテンツにあまり入り込みません。今のタイムは?とか、後ろの選手との距離は?とか、このままいけば世界選手権?とか、相手はどこで仕掛けてくるか?とか…当然ながらそうした思考は、沸き起こるでしょうが、おそらく、それに囚われることなく自然と受け流し、ひたすら心をむなしゅう(空しゅうor虚しゅう)して、リズムをとっていたのだと思われます。

そうした思考や派生する感情、感覚を淡々と観察しながら、それらと同一化せず、むしろそうしたコンテンツの背景としての静穏な「観察者としての自己」と同一化していたのだと思われます。

そんな雰囲気が「忍者走り」の走り方から漂っておりました。

それは取りも直さず、「意識を意識している」ことです。

この「意識」(Consciousness or Awareness)とは、前々回のブログで書いた「疑いようのない意識」のことです。

コンテンツではなく「実存」としての意識です。

自由な感覚と満たされた感覚が共存しています。Freedom and Fullnessです。

明晰性(Clarity)があります。同時に臨機応変に対応できる鋭敏さ(Alertness)があります。

「フローの状態」、あるいは「ゾーンに入ったのだ」という人もいるかもしれません。

しかしおそらくそれは結果論であり、大切なのは「意識を意識する」。それを絶えず心掛けることです。

この感覚はしばしば訪れますが、いつの間にか忘れてしまいます。そしてどうしたらそうした状態を取り戻せるのか、分からなくなってしまいます。

あの時は、何とはなしにそうなったのに、もうその感覚は戻ってこない、のです。

「意識を意識する」は、その感覚をよみがえらせるためのメモです。

あの状態を取り戻すためのリマインダーです。

そうそう、「意識を意識する」のだった。

こんな時こそ、「意識を意識する」のだ。

今後こんな風に、この言葉を使っていけたらと思います。

自分用のメモでしたが、お読みいただき、ありがとうございました。<m(__)m>