マイケル・キャロルの『THE MINDFUL LEADER』を読んでいて、特に注目したのはPART3に出てくる「環境とシンクロする」あるいは「状況とシンクロする」という言葉です。
言うまでもなくユングの唱えたシンクロニシティの意味合いをも含んだ言葉であると考えられますが、本文中では次のように書かれています。
P195
私達は完全に今という次元にいることができる。それはすぐにでも世の中に応じられる状態である。このような状態は、私達が周囲と「シンクロ」する時に生まれる。P200
私達が全体の中で自身の体験とシンクロする時、私たちの振る舞いはシステムに対する反応であると同時にシステムそのものの表現(つまり、システムの中で当然の振る舞い)となる。環境に完全にシンクロすることで、状況に合った判断力を発揮する。p202
鍛冶屋はその場の全体の状況とシンクロしていたからこそ、その場に即した対応ができたのだ。・・・私たちは環境とシンクロしていると、物事のタイミングがわかるようになる。P231
環境と完全にシンクロしているがゆえに、目の前で起こっている現実と関係性を失うことはない。まるで踊っているかのように、環境と完全に調和して動くのだ。P241
私達が状況とシンクロしてワンタン(wangthang チベット語。「力の場」と呼ばれるものを顕現させるといわれている)になるとき、私達は自身の感覚が、知的な世界との果てしない会話であることを知る。コップや木の枝はもはや平べったい二次元の存在ではなく、鋭い個性と深みを放つ。・・・味覚、視覚、聴覚―すべての感覚器官が隠れていた雲の中から姿を現し、明瞭さを増し、「在る」ことの輝きと広大さに激しく敏感になる。
私がこのブログで書いてきた「状況」と「状態」に対する従来からのスタンスは、「状況はコントロールできないが、状態は整えることができる」というものです。しかし「状態」を整えることでコントロールできない「状況」を、どうにかしたいという願望もそこには潜んでいることも自覚しています。
ですから、この「状況とシンクロする」という関わり方はとても魅力的に感じられました。
そして
この「状況とシンクロ」するとは、エックハルト・トールいうところalign with…だ!と思ったのです。
2011年12月19日のブログで次のように書いています。
エックハルト・トールの『ニューアース』で、「好雪片々として別所に落ちず」という禅語が引用され、「全体性と整合する」ことの重要性が説かれていますが、そのあたりを意識したブログでした。
「環境」「状況」という単語を、「全体」「全体性」という言葉に置き換えてみても意味が通じます。
中に立っているのか、全体を俯瞰しているのかという視点の違いです。「環境・状況」というのは中に立っている視点からの表現であり、「全体・全体性」とは観客席から(小さな)自分も含めた舞台を俯瞰している視点からの表現となっているだけのちがいです。
全体・全体性とはバタフライ効果を組み込んだ縁起としての系であり、それをp200では「システム」という単語を使用していますが、それは意味的にはこうした全体の系のことです。ですから、「反応であると同時に、システム(系)そのものの表現」と書かれているのでしょう。
状況にシンクロする、全体に整合する
いいですね。本当にこのようにありたいものです。
ではこのようなかかわり方、すなわち「状況にシンクロする」あるいは「全体に整合する」関わり方を実現するためには、具体的にどうすればいいのでしょう?あるいは、どうあればいいのでしょう?
このブログでは、What to doよりも、むしろHow to beということを言ってきましたが、
具体的に、注意(attention)の用い方として、フェーミ博士の理論と組み合わせてみていきたいと思います。
それは前回の「注意を分割する方法」、今回の「状況とシンクロする方法」、の両方の答えになるのではないかと考えています。
それは、結論を先に言うなら「前景と背景を等しく見る」です。
フェーミ博士の唱えるアテンションのスタイル「ディフューズ/オブジェクティブ」「ディフューズ/イマースト」とあわせて、次回このことを書いてみたいと思います。