ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

インフレーションの「真空のエネルギー」と空の充溢

複雑系としてふるまう創造的進化の原動力」としてのエラン・ヴィタールと、私たちの「内なる躍動」が共振するのではないだろうか?と考えています。
そしてその共振する感覚こそ「生命の躍動」であり、その感覚は望ましい生き方のシグナルなのではないでしょうか。
ベルクソンのいうエラン・ヴィタール(elan vital)を念頭において複雑系のふるまいを加味しながら、今回はこれに宇宙のビッグバンの前に起こったとされるインフレーションと、その元となった「真空のエネルギー」について考えてみたいと思います。

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上図の出所は、佐藤勝彦氏が対談されている以下のウェブサイトです。

https://www.athome-academy.jp/archive/space_earth/0000000243_all.html

2014年12/4放送のNHK BSプレミアム『コズミックフロント  ~ついに見た!?  宇宙の始まりインフレーション』を参照し、佐藤勝彦著『宇宙はこうして誕生した』から以下に引用します。
・6000度以上になると水素は陽子と電子に分かれてしまいます。
・10億度の高温になるとヘリウムはじめすべての原子核は、それを構成している陽子と中性子に分解された状態だったといえます。
・1兆度ぐらいになると陽子や中性子クオークに分解されてしまいます。
・つまり宇宙の初期はすべての物質が溶けて、ミクロの極限である素粒子のガスになってしまっている。(『宇宙はこうして誕生した』佐藤勝彦著p32)
ワインバーグ=サラム理論によって電磁力という弱い力が統一されましたが、さらに強い力、重力をふくめた四つを統一した理論(超大統一理論)が完成すれば、一つの力から相転移によって次々と力が生まれてきた、あたかも生物が進化するように力も進化して今日に至った、というシナリオが描けるのです。(同p37)
・宇宙が始まって10のマイナス44乗秒後に最初の相転移が起こり、一つの力からまず重力が枝分かれします。…この時の温度をプランク温度といいます。そして10のマイナス36乗秒後に第二の相転移により強い力(色の力)が枝分かれを起こします。さらに10のマイナス11乗秒後に、第三の相転移が起こり、電磁気力と弱い力が分かれ、四つの力が誕生するわけです。このとき、温度は1千兆度Kにまで下がっています。(p38p39)
アレキサンダー・ビレンケンは「無からの宇宙創成」という論文で、宇宙は無から生じたと論じて世界の物理学者を驚愕の渦に巻き込みました。…
常識的な古典的真空では、粒子がまったく存在しない空っぽの状態ですが、量子論では粒子がエネルギーゼロの地点の付近でゆらいでいる状態(物理的真空)ということになります。きわめて短い時間の間に、粒子が突然出現したり消滅したりと、「非存在」と「存在」との間を揺れ動いているのです。“無”の概念は、真空の考えをさらに深め、物質だけでなく空間すらない状態をさします。そこでは、空間すら「非存在」と「存在」の間をゆれ動いているのです。…
そんな鍋の中でふつふつと煮立った湯の気泡のような量子論的な宇宙が、あるとき「トンネル効果」によってポロッと生まれたというわけです。
トンネル効果とはビッグバン理論のガモフが1928年に「アルファ崩壊の理論」で論じた、原子核からアルファ粒子がポンと飛び出す現象のことで、…極微の世界では珍しくないことです。(p41-42)
生まれたときに10の34乗分の1センチという、素粒子よりはるかに小さかった宇宙が、…とてつもなく短い時間に起こった異常膨張によって、宇宙は1センチ大の大きさになります。
この急激な膨張は、生まれたばかりの宇宙が持つ固有の力―「真空のエネルギー」によるものです。先に、量子論では無もゆらいでいるといいました。これが物理的な真空です。そこでは粒子と反粒子(物質と反物質)が生まれては消滅しています。粒子と反粒子を生み出すにはエネルギーが必要です。したがって、生まれたばかりの宇宙は、無の状態から物質を生み出すエネルギーがつまった真空状態だったと考えられます。この真空エネルギーが宇宙を急激に押し広げるのです。
この真空エネルギーをアインシュタイン方程式に代入してやると、空間に対する「斥力」(万有引力の反対の力)が宇宙を急激に膨張させることが導き出されます。(p42-44)
宇宙が急激に膨張すれば、密度がそれだけ低くなるわけで、温度が急激に下がり、いわゆる「過冷却」と同じ状態になります。水が氷に変化する現象が「相転移」であるとお話ししましたが、摂氏0度で一気に氷になるのではなく、マイナス4度になって初めて氷になります。これを過冷却といいます。宇宙も急激な冷却で「相転移」を起こします。
真空のエネルギーは宇宙がどれほど膨張しても薄まることはありません。宇宙が持つ固有の力なので、体積当たりのエネルギー密度は一定です。したがって、宇宙が膨張すればするほど真空のエネルギーも増大して行きます。そして宇宙が「真空の相転移」を起したとき、水が氷になる時に熱を放出するように、膨大な量の潜熱を解放するのです。急激な膨張で「過冷却」状態になっていた宇宙は、この潜熱による熱エネルギーで超高温の火の玉となって、「ビッグバン」を開始するわけです。(p44-45)

 

佐藤勝彦氏は1980年にこれを「指数関数的膨張モデル」として論文にまとめました。その半年後に米国のアラン・グースが同様のシナリオを「インフレーション理論」として発表し、現在はインフレーション理論という呼び名で定着しています。
要約すると大体こういうことになるでしょう。

量子論的にいうと、真空とはまったくの空っぽなのではなく、粒子が生成消滅を繰り返し「ゆらいで」いる空間である。
宇宙は「無」から生まれたと考えられている。「無」とは物質だけでなく空間もゆらいでいる状態である。空間すら「非存在」と「存在」の間をゆれ動いている。この「ゆらぎ」の中で、ある時トンネル効果が働き、最初の宇宙が生まれた。(すなわち空間が生じた。しかし物質はまだなく真空であった、ということでしょうか?)
この宇宙は「真空のエネルギー」をもっており、このエネルギーが大きな斥力を発生させ(アインシュタイン方程式に代入してやると斥力が計算される)、空間は光速よりも速いスピードで指数関数的に急膨張した(素粒子よりも小さい直径10のマイナス34乗cmから一瞬で1㎝以上に膨張した)。
膨張すると密度は下がるが、エネルギーは空間の膨張に比例して増大する(空間が広がってもエネルギーは薄まらない)。それがさらなる斥力を生じさせて空間が膨張し、さらなるエネルギーを生じさせる。
空間が膨張することで密度が下がって過冷却が起こり、潜熱が蓄えられる。やがて真空の相転移が生じ、蓄えられた潜熱が莫大な熱エネルギーとなって放出される。これによって宇宙は高温の火の玉となる。こうしてビッグバンが始まったのである。

この「真空のエネルギー」は、まったく不思議な存在で、インフレーション理論のかなめとなっています。
このインフレーションのシナリオに沿うなら「創造的進化の原動力(エラン・ヴィタール)」の原初の姿は、この「真空のエネルギー」であるといっても過言ではありません。
そして私にとっては、宇宙の始まりの真空がエネルギーで満たされていたことと、空なる境地で内から満たされてくる充溢の感覚が、どうしても重なってきます。
「真空のエネルギー」が、「空の充溢」を連想させるのです。
真空とは空っぽなのではなく、空とは虚しいのではなく、むしろ何かによって満たされた状態であるといえます。
 
そして「真空の相転移」。これは私たちの内面における「本質」の無化、無「本質」化を連想させます。
6月2日のブログで引用した井筒俊彦氏の「意識と本質」のp119から再び引用します。
こうして禅は、すべての存在者から「本質」を消去し、そうすることによって全ての意識対象を無化し、全世界をカオス化してしまう。しかし、そこまでで禅はとどまりはしない。世界のカオス化は禅の存在体験の前半であるにすぎない。一たんカオス化しきった世界に、禅は再び秩序を取り戻す。
すなわち禅は、本質を無化することで対象あるいは世界をいったんカオス化し、のちの新しい秩序の形成を促すのです。カオスと自己組織化を組み込んだ複雑系のふるまいです。禅は相転移の反応を進展させる触媒のようなものかもしれません。
宇宙のはじまりの「真空の相転移」は、進化の最先端である私たち知的生命体における「空による相転移」と対称的です。
また神谷美恵子氏のいう「価値体系の変革」も、ある種の「相転移」でしょう。
PTG(ポスト・トラウマティック・グロース「心的外傷後成長」)も、ある種の「相転移」でしょう。
宇宙は相転移により自己組織化してきたといえますが、個人もまた相転移創発により成長・発達すると言えます。
 
では相転移は、どこでおこるのでしょうか?
それは「カオスの縁」で起こる、といいます。
このことを次の機会に考えてみたいと思います。