(2021年1月1日、モーニングショーより撮影)
私たちは勘違いしていた。
「今」とは、過去と未来に挟まれた刹那であると。
であるから
今ここを軽んじ、
こころは先へ先へ、あるいは前へ
彷徨う。
しかし、そうではなかった。
〈今〉とは、過去を含み未来を孕んでいる「永遠」であった。
過去も未来も〈今〉にあることを自覚せよ。
私たちは勘違いしていた。
「私」とは、考えたり感じたりしている自分であると。
うまく考えがまとまらなかったり、感情に圧倒され、自己嫌悪に陥るのも、そのせいである。
しかし、そうではなかった。
〈私〉とは、思考を観るものであり、感情に気づいている「見者」であった。
苦しいとき、思い出そう。
〈私〉は思考でも、感情でも、欲求でもない。それらを目撃する者であると。
私たちは勘違いしていた。
「世界」とは、厳然とそこにあり、私はその中にいると。
であるから、世界はよそよそしく、疎外する。
そうではなかった。
この〈世界〉は、私という存在とセットなのであり、また私の意識の中で生起するものである。
まさに世界は恋人、世界は私なのだ。
そしていま、
複雑系として振る舞う創造的進化の原動力として〈生命〉を思う。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
(2月17日追記)
私たちは勘違いしていた。
そう、いのちは一つ ♪ と思っていた。
(加川良の名曲 ♪『教訓Ⅰ』のように)
しかし、それだけではなかった。
「生命体としての宇宙」として
Elan Vital として
Spirit in Action として
生命は、本当にひとつ、なのであった。