ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

役割取得能力レベル0の補足

過去のブログで取り上げた「セルマンの役割取得能力の発達段階」のうち3歳~5歳の自己中心的役割取得能力に関して、質問がありましたので下記に補足しておきます。 Interpersonal知性と、セルマンの役割取得能力 - ウィルバー哲学に思う レベル0の説明を『…

コぺルの鏡で、こころの闇から抜け出す

このブログでも過去に何回か取り上げたことのある清水博先生の作品『コペルニクスの鏡』いのちの居場所に、いのちを使う - ウィルバー哲学に思う を読み返していて、新たな発見や深く感じ入るところなどが多くありました。 今回はその序盤から少し紹介させて…

スクリーンに映った過去、未来、あなた、彼

前回のブログで わたしたちは、記憶や言葉のおかげで現在の直接経験だけではない、過去の経験、未来の経験を、私の経験だけではない、あなたの経験、彼の経験を生きてしまっているのだ。 と書いた。しかしこの表現はやや混乱していることに気づいた 直接経験…

二種類の現在と直接経験

入不二基義さんの『ウィトゲンシュタイン~私は消去できるか~』(NHK出版)のなかにウィトゲンシュタインのいう現在および直接経験についての解説が興味深かったので、ここに紹介させていただく。(以下p75~p76から引用) 物理的な事実と直接経験の違い…

〈私〉と〈今〉は同じものの別の名

哲学者である永井均さんの著書『私・今・そして神』の中に、注目すべき表現があったのでその部分に線を引いた。それは「開闢(かいびゃく)の奇跡」という節のなかに書かれている。(以下、P40~p42より引用) ある名付けえぬもの ・・・ まあ、基本的には、…

必ずしも意図していないものを読み解くという楽しみ方

脳内ポイズンベリーという映画を観た。 若い男女の三角関係がストーリーの恋愛映画で、映画館も若い人が多く、少々気恥ずかしい感じがした。 にもかかわらず、わざわざ見に行こうと思ったのは、主人公の脳の中にポジティブ、ネガティブ、衝動、記憶、そして…

インドラ網として万物に証せられた自己

2012/1/9のブログにヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの著書から引用してこのように書いた部分がある。 『華厳経』という古い仏典にはこう書かれています。宇宙とは無限の網であり、ヒンドゥー教の神インドラ(帝釈天)の意思によって生じた。この無限の網の…

心の形成物≒ペインボディ≒認知的フュージョン

五蘊(ごうん)、とくにその第4である「心の形成物」(mental formation)の相互依存性ということを考えているうちに、ティクナット・ハン師のいう「心の形成物」とエックハルト・トールのいう「ペインボディ」、そしてさらにACT(アクセプタンス&コミットメ…

To Stay Present

To stay present in everyday life, it helps to be deeply rooted within yourself; otherwise, the mind, which has incredible momentum, will drag you along like a wild river. エックハルト・トールTVというウェブサイトに登録するとWeekly Present M…

私と世界をつなぐバタフライ効果

前回のブログにコメントを下さった方がおられ、その返信を書く中で様々なインスピレーションがありました。私が書いた返信の一部をここに抜粋しますと・・・ (以下抜粋) 極端に言うと、生きて何もせず、ただ呼吸をしているだけの人がいたとします。しかし…

「万法に証せらるる」素晴らしき哉、人生!

前回取り上げた「素晴らしき哉、人生!」の映画について書きます(ネタバレ注意です)。 原作はフィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンという作者のTHE GREATEST GIFTという短編のようです。 ネットで調べてその日本語訳を読みましたが、映画と原作はかなり…

素晴らしき哉、人生

一昨日、CATVのムービープラスで「素晴らしき哉、人生」という映画を見ました。 モノクロで1946年のアメリカ映画ですが、私にとっては今年一番のおすすめ映画です。 ムービープラスでは、12月25日の11:15分からもう一度放送するようですので、良かったら見…

心理的柔軟性を失ってはいないか

昨日、「そうか!自分は心理的柔軟性を失っていたのだ」と気づきました。 10月に内面的にやや切羽詰った状況(以下、状況Aと呼びます)があり、それが軽いトラウマになっていたのでした。 考えてみると不思議な気がします。 ネガティブな状況Aを経験して、そ…

青空としてのわたし

このブログでいつも伝えたいと考えていることを「直球、ストライク!」という表現でタイトルになっている鎌倉一法庵住職の山下良道さんの著書「青空としてのわたし」を読みました。 良道さんはもともと曹洞宗僧侶でアメリガでの布教経験を経て、ミャンマーに…

問題解決モードと夕陽モード

スティーブン・ヘイズ他著「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版」を興味深く読み始めました。あらためて、ACTは本当に素晴らしく永遠の哲学の伝統にある知恵と現代心理学を橋渡ししているなと思いました。 それはともかく今回は、こ…

水平軸から垂直軸に、立ち位置を変える

先日の小児がん脳腫瘍全国大会でフランクル研究の第一人者である山田邦男先生に「実存的苦悩とどう向き合うか」についてお話しいただきました。 実存的苦悩とは何かをふまえた後で、「実存的苦悩をいかにして克服するか」について、いくつか文献や例を挙げな…

スクリーンのような自己の本質

ウィルバーは著作の中で、映画のスクリーンを見ている観客の立場という喩えで、観察者としての自己(Witness)を解説していますが、前回紹介したスパイラのPresenceの中でも、自己の本質をスクリーンに喩えて解説している部分があります。 読んでみて、これ…

概念としての自己と脱同一化する時間をもつ

最近、ルパート・スパイラの「プレゼンス」という本をとても興味深く読んでいます。 Presenceは「現存」と訳されています。ウィルバーの著書の多くを訳された松永太郎さんはPresenceを「現前」と訳しました。文脈によって「いまここ」とも表現されていました…

状態ではない静寂としてあること

ガンガジはその師であるプーンジャ(ラマナ・マハリシの弟子)から「止める」という教えを受けたといいます。 ガンガジの次の文章が大変印象的だったので紹介させていただきます。 (以下、the Diamond in your Pocketから引用) 私はよく、「どうすればこの…

収縮の感覚をただ観察する

ウィルバーの著書『ワンテイスト』の中に、「これは仕上げのエクササイズと呼べるだろう」と書かれているものがあります。 (ワンテイスト下P154より以下引用) 観照者として休息し、自己収縮を感じること、これこそワンテイストが最も現れやすくなる空間で…

掛け合い漫才風に「それ」を指し示す

(4月19日のブログ「非二元への扉、世界とぴったり重なっている私」のおまけブログと思ってご覧ください) かんたん、かんたん。 なんやいきなり。何が簡単なんや? いやいや君も行けてるということ。 君も行けてるって、おれの何が行けてるんや? 何が行け…

どうすべきか分かっていようとしない

ガンガジの著書の「どこまでも心を開く」という章のなかに、私たちには、「いろいろなことをあれはああすべきだとか、これはこうするべきである、というように分かっていたい」という無意識の願望がある、というようなことが書かれている。 私たちは、とにか…

ありのまま、起こるがまま、そして「あるがまま」

「あるがまま」とは、「ありのまま」、および、「起こるがまま」を含んで超えているのだと思いました。 まず、「ありのまま」とは、何でしょうか。 それは、ベールを通さず、無濾過のリアリティを見ることです。 私たちヒトは、「関係づける能力」を発達させ…

過去ブログのリスト2

過去ブログのリストを更新しました。これ以前のブログ一覧は、右の「過去ブログのリスト」のカテゴリーから『過去ブログのリスト1』で見ることができます。 278 非二元への扉、世界とぴったり重なっている私 277 灰色の男たちの罠から抜け出し、ゆっくり動…

非二元への扉、世界とぴったり重なっている私

まず、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」の訳者あとがきで、松永太郎さんが書かれた文章を抜粋したいと思います。 (以下引用)この非二元への開眼は、恐ろしくシンプルで、誰にでも開かれている。徹底的に「平等」である。修行したり、勉強した…

灰色の男たちの罠から抜け出し、ゆっくり動こう

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)とこのブログで取り上げた過去のテーマとの関連を見ています。今回はACTの4つ目のコアである「今この瞬間との接触」です。私がごくごく簡単にまとめたACTのまとめは次のようなものです。 ACTその4 今こ…

概念としての自己をPRしている自分を見て笑おう

今回みていくのはACT(アクセプタンスコミットメントセラピー)の「観察者としての自己」です。ウィルバーのいうWitnessであり、目撃者、あるいは観照者と訳されています。このブログでは基本的に目撃者と書いてきました。これは、清水博先生のいう場所中心…

貼りつけたレッテルをはがし「ありのまま」をみる

前回に引き続きACTのコアである6つのプロセスについて、過去のブログとの関連を見て(ウィルバー、ACT、ティクナットハン、エックハルト・トール、ミンゲールetc)に共通する横糸を通してみたいと思います。今回はその2つ目、脱フュージョンです。 脱フュー…

自己収縮にとどまる、何もしないをする

小児がんコンサルタントのブログでACTのまとめを掲載しました。 http://childcancerconsul.blogspot.jp/ こちらのブログでは、「ウィルバー哲学に思う」の観点から、それに横糸を通してみようと思います。ACTには6つのコアになるプロセスがあるとされていま…

コントロールを手放し浮力を感じて生きる

ある新しいことをやろうと決意したのですが、どのように進めていいか分からないでいました。 今もまだ分からないのですが。 といいますか、もともと現時点からは、やや飛躍しているので、その道筋がよく見えないでいます。 ですから当然といえば当然なのです…