ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

掛け合い漫才風に「それ」を指し示す

(4月19日のブログ「非二元への扉、世界とぴったり重なっている私」のおまけブログと思ってご覧ください)

かんたん、かんたん。

なんやいきなり。何が簡単なんや?

いやいや君も行けてるということ。

君も行けてるって、おれの何が行けてるんや?

何が行けてるんや?と今思ったやろ、それそれ。

それそれ、ってな、なんやねんそれ。

今なんやねんと思ったんやな、それのことやねん。

あのなあお前、頭おかしいんちゃうか?

頭おかしいんちゃうかと、どこで思った?

どこで、そんな場所なんか言われへんけど、このへんかな。

そやろ、そこにそういう考えが浮かんだんや、そのことやねん。

そのことやねん、って、いったい何のことやねん。もうさっぱりお前の言ってること分からへんわ。

いやっ、だから、まさにその「さっぱり」ってことや。ちょっと静かにしてみ。

なんや?

何が聴こえる?

何がて、えーそうやな車の走ってる音かな。

それから?

それから・・・あっ鳥の声も聴こえた。

そやろ、

そやろって、お前が鳥を啼かせたわけちゃうやろ。それがどないしたねん。

当たり前や、そんな能力ない。

だから、車の音とか、鳥の鳴き声とかが聴こえてきたやろ、それでええねん。

それでええて、何がええの。お前の言ってること、やっぱり分からん。

身体はどんな感じがする?

なんやなんや

身体のどっかが、痛いとか、重いとか、身体の感覚や

身体か、そやな、なんかお尻がかゆいな

お尻、かゆいか。それはナイスやね。

何がナイスやねじゃ

さっぱり分からん、と思ったり、鳥の鳴く声が聴こえたり、お尻がかゆいと感じたり、短時間の間にすごいな、やっぱり君行けてるわ。

それが行けてるってことか?おちょくっとるんか。そんなん誰でもいつもやろ。

そうや、いつもやろ。だから「常に」やん。

あー、さっき言ってたそれが「常に」か

いつから?

いつから?って、そんなんずっとずっと前から、こんな小さい頃からやろ。気づいたらいつもやろ、そんなん。

じゃあ気づけよ。いつから

じゃあ気づけよ、ってえらそうにいうな。だからもう気づいたから、いつからというと、もうさっきからからかな。

じゃあ「すでに」ってことやね。

それが「すでに」ってことかいな。

そう

そうって、あのな。やっぱりお前の言ってること分からんわ。

(失礼しました<m(__)m>)