昨日の小児がん喪失家族ワークショップは、子どもを喪失されてまだ半年程度の参加者の方が4名、2年経過した方が1人、4年の方が1名、10年前後のものがスタッフを入れて3人というメンバー構成で行われました。
私の役割はファシリテーター補佐といったところです。
特にテーマを決めずに、自由に語ってもらい、しっかり耳を傾け、その中でこれは注目に対する意見だなと思われるものをすくって議題にしていこう、という方針で臨みました。
テーマは重くても何だか明るいのが、私たちの特長です。自己紹介に続いて、2巡目くらいから個性の強い方が笑いを誘って下さり、活発な意見がではじめました。
論点になっていることに、見出しをつけてノートを取っているうちに、これは四象限で整理できる、と確信しました。
そして、休憩時間に、ホワイトボードに整理してみました。
【左上象限】
・罪責感、自責の念
・実存的苦悩(※)
【右上象限】
・代替療法
・子どもの視線やペースに合わせた治療の必要性
【左下象限】
・医師と患者の関係、コミュニケーション(医療パターナリズム、緩和医療)
・夫と妻の関係、コミュニケーション(相違する価値観、方針をどう合意するか?)
・親と患児の関係 (病理解剖への対応に関する問題)
・きょうだいとの関係(骨髄移植のドナーになったことを含めて)
・夫婦と実家の関係(合理的価値観VSしきたり、解剖への価値観)
・職場との人間関係
・仲間(こうしたワークショップの場)
【右下象限】
・小児がん拠点病院の問題(治療格差)
・セカンドオピニオン
・小児脳腫瘍の標準治療
※これは、その時には書き出しませんでしたが帰って映像をチェックしていて、こうした発言が聞かれていたことを確認しました。
とくに問題提起した訳ではなく、自然に話したいことを話してもらううちに、「私もそうでした…」「えー、そういうふうに考えるんや」というような共鳴現象が起こっていったのです。
ワークショップの終わりに感想をひとりずつ話してもらいました。今日出てきてよかった、という声がみなさんから聞かれたのですが、それには大きく分けて二つの理由があったと思われます。
まず、自分に起こった(あるいは起こっている)ことを「話す」というプロセスそのものを通じて得られたポジティブな感覚です。これは、「話す」ことで自分の気持ちを表出したり、客体化できたことによるのではないでしょうか。
もうひとつは、共感できる話が聴けたこと、あるいは自分の話に共感してもらえたこと、あるいは「うちの場合は・・・」といって反対の対応をとったケースであったとしても、なぜそうしたのかの視点を理解でき、そういうものが積み重なって、自分だけじゃない、自分たち夫婦だけではない、という仲間意識が感じられはじめたことです。
このワークショップは今年度二回目でしたが、前回も参加したメンバーに新たなメンバーが加わり、仲間意識が重層的な厚みを増したような気がします。
今日の話を参加メンバーだけでなく、もっと多くの人(小児がんで喪失体験のある親)にも聞いてもらったり知らせることができればいいと思う、こんな場のない人にきっと何かを与えられると思う、と父親のひとりの方は話されました。
意義深い一日でありました。みなさん、お疲れさまでした。