ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

Unique Selfのために「葛藤を持ち寄る」

今回はMoralのラインを取り上げたいと思います。まず慣習というものを一つの基準としてそれに合わせることのできる前の段階、慣習に合わせる段階、そして慣習を超えていく段階に大きく分類したコールバーグによる道徳性発達段階がよく知られています。そしてそれぞれが、さらに2つの段階に分かれ計6つの段階で構成されています。
哲学の杜というウェブサイトの中にこの6段階のシンプルな解説がありましたので引用させていただきます。http://www6.ocn.ne.jp/~tetugaku/moral1.htm
それにコールバーグ著「道徳性の発達と道徳教育」の中にあるレストの「道徳的行為を行う動機」を組み合わせてまとめると次のようになります。

前慣習的段階
第1段階
罰回避と従順志向 Obedience and punishment orientation
(How can I avoid punishment?)
正しさの基準は自分の外にあって、他律的。親や先生のいうとおりにすることが正しい。処罰をさけるために規則に従う。
行為の動機は罰の回避

第2段階
道具的互恵、快楽主義 Self-interest orientation
(What's in it for me?)
自分にとって得か損かの勘定が正しさの基準。ほうびをもらい、見返りの恩恵を得るなどために行動する。
行為の動機は、報酬もしくは利益の願望である。(自分の恐怖、不快もしくは苦痛が、結果としての罰から区別される)


慣習的段階
第3段階
他者への同調、よい子志向 Interpersonal accord and conformity
(Social norms)
(The good boy/good girl attitude)
人間関係の維持が目的。身近な人に嫌われたり非難を受けるのをさけるために行動する。
行為の動機は実際のものであれ(例えば罪意識のような)想像された仮定的なものであれ、予想される他者の否認である。(否認が罰、恐怖、苦痛から区別される)

第4段階
法と秩序の維持 Authority and social-order maintaining orientation
(Law and order morality)
社会の構成員の一人として社会の秩序や法律を守るという義務感から行動する。
行為の動機は予想される不名誉、つまり義務の不履行に対する公的な非難の予測や、人に対して加えた具体的な危害に対する罪の念である。(公的な不名誉が非公式の否認から区別される。悪い結果に対する罪の念が否認から区別される)

ポスト慣習的段階
第5段階
社会契約、法律の尊重、及び個人の権利志向 Social contract orientation
道徳的な価値の基準が自律化し、原則的になっている。個人の権利が尊重されているか、社会的公平であるかどうかが問題となる。
対等の人々やコミュニティからの尊敬(この場合その尊敬は情緒ではなく理性に基づくと考える)を確保しようとする関心。自分の自尊心についての関心、つまり自分を非合理的で一貫性がなく目的のない人間と判断せざるを得ないようなことを避けようとする関心。(制度的非難と、コミュニティからの軽蔑もしくは自己蔑視とが区別される)

第6段階
良心または普遍的、原理的原則への志向Universal ethical principles
(Principled conscience)
人間の尊厳の尊重が正しさの基準。普遍的な倫理観を持つ。
自分自身の原理を踏みにじることに対する自己非難についての関心。(コミュニティの尊敬と自尊心とが区別される。何かを達成しようとする一般的な合理性に対する自尊心と、道徳原理を維持することに対する自尊心が区別される)



「道徳性の発達と道徳教育」では、特に第6の段階について「人間の尊厳性と高潔性」そしてそれを守るために「対話に入る必要性を認める態度」を尊重することがジョーンズ(32才女性)の回答を参照しながら描かれています。(以下ジョーンズの回答から抜粋)

「ハインツにとっての問題は、妻が死にかけていることです。そして盗みを禁じている社会的規則に従うか、妻の命を救うために罪を犯すか、という板ばさみになっていることです。私は、薬屋のほうにも葛藤があると考えたいですね。ある状況の中で、葛藤が起これば、いつも…。複数の人が状況を理解すれば、葛藤が共有されます。そして各人の葛藤がいわば互いに相手に伝わります。そしてそれをいわば「持ち寄る」ことによって、ある程度葛藤は解決されると思います…複数の人を巻き込んだ状況で、複数の人が葛藤を意識すれば、そこにはおのずから各人が解決すべき問題、各人が考慮すべき事柄が存在することになると思います。そして各人は、その葛藤の中で起こる事態に影響力を持つようになると思います。もし私がハインツならば、薬屋と話し合いを継続します。…私はどんな決定でも黙って下せるとは思いません。私には対話が、しかもこのような状況の下では、継続的な対話が非常に重要だと思われます。」

「私に言わせれば二つあります。第一点は、関係者の間で協力的な話し合いもしないで、人の尊厳性や高潔性に影響を及ぼすような決定を下す権利は、誰にもないということです。第二点は、たった一人の人が決断するという、この非常に奇妙な状況の下で、私はそんなことが起こるなんてことは理解に苦しむのですが、人間の尊厳性と高潔性を守るということ…そこにはいつも生命、人の生命という理由が含まれているからなのです。ですから私が言おうとしているのは、そうですね…私は命を持続させることが唯一の本質的で究極的なことと言っているのではありません。私は、人間の尊厳性と高潔性を守ることが重要なことだと思います」

「私がここで使っている責任とは、あらゆる生命の尊厳性を認めることを意味していると思います。しかし、お望みなら、その意味を人間に限定してもかまいません。そして責任とは、まさに、そのような認識に伴う真に重要なものだと思います。もし私があなたを尊重するとすれば、私は、尊厳性と高潔さを備えた被造物としてのあなたを尊重しているのであり、あなたのユニークなどういったらよいかわかりませんが、特別な存在としてのあなたを尊重しているのです。」

「あなたのかけがえのない特別な存在を尊重するならば、その点を認識する私は、あなたのことに余計な口出しはしないでしょうし、あなたを意図的に傷つけたりしないでしょう。責任を果たすということには、こうした一連の消極的な態度が伴いますが、また積極的な態度もあります。それは、あなたをなんらかの意味において独自の、重要で高潔な存在として認識することであり、そのすべてを守るために私にできることをすることなのです」


コールバーグの第6の段階は、ウィルバーのEYE to EYEによるとレーヴィンジャーの個人主義的段階マズローのSelf-esteemの段階に対応していることになっています。オレンジからグリーンというところでしょうか。
しかしながらこのジョーンズのコメントを見ると、その端々にインテグラル理論の第二層に対応したポストポスト慣習的段階に共通するものを感じます。もともとの見解では彼女は人間に限定していません。これはKosmocentricです。そして各自の葛藤を持ち寄った対話は、Integral Communicationに通じるものがあります。尊厳性と高潔さは被造物として特別な存在であるユニークさに由来するものであるという認識は、ILPの結びにあるThe Unique Selfそのものだと思いました。私たちがお互いのUnique Selfを尊重するために、たとえ合意に至れないときでさえ相互尊重を生み出すために、葛藤を持ち寄り、自分の葛藤と他者の葛藤をお互いに見ることで、状況を困難にしている相互関係の何かがが変わるのだ、ということです。
「Unique Selfのために葛藤を持ち寄る」をコールバーグの第6段階の知恵として覚えておきたいと思います。