ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

Absorptive−Witnessingその1、焦点を移行する

MARK D.FORMANのa guide to integral psychotherapyという本からP150「Stage6:Absorptive−Witnessing:段階、病理、同一化の特徴」という節を見ています。
(以下抜粋拙訳)

ウィルバーは著述を通じてある考えを強調してきました。それは社会的規範を超えた、そして文化的にも統合的多視点的発達の「優れた足跡」さえも超えた少なくとも数個の段階があるということです。ウィルバーはこれらをトランスパーソナルな段階として言及してきました。ヒンズー教仏教スーフィーカバラ、そしてキリスト教神秘主義密教モデルの広範な類似性を説明する彼のモデルには、通常3つの成長段階―psychic(インディゴ)、subtle(ヴァイオレット)、causal(ウルトラヴァイオレット)―があります。この文章の目的は、これらのトランスパーソナル段階をAbsorptive−Witnessing段階として「ひとくくり」にすることです。(拙訳ここまで)



そうでしたか。「万物の歴史」等で支点7、8、9とされていたpsychic、subtle(微細)、causal(元因)の3段階は、虹色の段階でいうとターコイズの上のインディゴ、ヴァイオレット、ウルトラヴァイオレットに対応していた(注書3に書かれている)ということです。すっきりしました。

そして対象となる人の数が少なく、表現するにも言葉の限界があり、経験的にしかいうことができないこと、空想や前合理的段階との表面的な類似性によって科学的心理学的研究対象の外側にあるようにみられてきたことなどから、何がこれらの段階を構成し、どれほど別々の段階が存在するのか容易に確信することが困難であると書かれています。また、心理療法の立場からこれらの段階にあるクライアントを識別することは実践的でなく、セラピーという目的からしても、この段階の貴重さと直面する課題の一般的意味を知っていれば十分であるという理由でAbsorptive−Witnessing段階にひとくくりにしたとあります。

そしてこのAbsorptive−Witnessing段階には3つの中心的な特徴あるとされています。それは、(a)スピリチュアルな変性意識状態の一貫した経験 (b)目撃する認知、そして(c)他者に対する道徳的関心の著しい拡張、です。(b)(c)は次回以降に回し、今回は(a)について詳しく見たいと思います。

Consistent Experience of altered States 変性状態の一貫した経験

人がこれらの状態(神秘的な意識の変性状態)に没入する時、アイデンティディや、時間の感覚、身体的境界、そして感情的な体験においての変化が確認される。尋ね方にもよるがおよそ30%から50%の人が少なくとも一回はこのタイプの体験をしたことがあると報告するだろうとに述べた後に、以下の重要なことが書かれています。(以下抜粋拙訳)

Absorptive−Witnessing段階では、はじめに、このバランス(変性状態のような「内なる」時間に費やされることはめったになく、大半が「外の」時間として費やされていること)が移行します。スピリチュアルな変性状態が、目覚めている間、瞑想のような誘導テクニックがなくても、もっと頻繁に自然発生的に起こりはじめます。この段階の個人は、ときどき焦点(focus)あるいは注意(attention)をわずかに移行するだけで、この状態を誘発します。…「スピリチュアリティとはあなたがいるところから4分の1インチだけ離れたところにある」のです。(拙訳ここまで)


ここが極めて大事だと思われました。そうですこの感じです。まさにフォーカスを4分の1インチ「ずらす」という感覚です。前回のブログで「球技であれば、ボールそのものであったり、打ち込む先の相手コートの空いているスペースだったり」というようにフォーカスの向ける先のことを書きましたが、「何か違う…」という感じがあり、それだと普通だよな、と思って、自分でもやってみるというかそういう状態を意識してみると、やっぱり違う。見なければいけない対象にフォーカスするのではなく、その対象の奥、あるいは背景にフォーカスする感じでピタッときます。まさにその対象から奥へと4分の1インチずらした焦点の方が正解なのです。

思い出しました。以前「うすらぼんやり見る」で書いた通りです。

「うすらぼんやり」見る - ウィルバー哲学に思う


このフェーミ博士の研究に関して以下に松永太郎さんがメルマガに書かれていたオープン・フォーカスの本に関する紹介記事をそのまま抜粋させていただきます。
http://www.melma.com/backnumber_133212_4105300/
(以下松永さんの記事の引用)

 本の紹介 「オープン・フォーカス」The Open Focus Brain Les Fehmi, PhD 2007 Shambhara
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ラスト・サムライ」という映画で、はじめて木刀で試合したアメリカ人が「ノー・マインド」という言葉を習うが、まさに「無心」ということである。  
今の心理学では「フロー」または「ゾーンに入る」と言われている。スポーツ選手やピアニストは、フローに入らないとうまくいかない。テニス選手などは、よくボールが停まって見えるというが、それがゾーンまたはフローに入った状態である。
・・・
 この本の著者、プリンストン大学のフェーミ博士は、長い間、脳波の研究をしていている人である。ゾーンに入るとき、脳は、いわゆるアルファ波で、同期していることは良く知られている。また座禅や瞑想などをしている人は、ただちにこのアルファ波の同期が始まっていることもわかっている。

 しかし、フローに入るからアルファ波が同期するのか、あるいは座禅などの状態とフローあるいはゾーンに入ることの連関性は、よくわかっていなかった。この点についてフェーミ博士は、非常な発見をしたのである。私個人の意見では、これは画期的発見だと思われる。

 すなわち、私たちは、まったくなにもない空間(スペース)を想像するとき、直ちにアルファ並みの同期が始まるのである。スペース、または、まったくの静寂、あるいは時間のない状態というものを想像する。すると、アルファ波の同期が起きるのである。 
 ・・・
フェーミ博士は、これをナロー・フォーカス(狭い焦点)といっている。野生動物が獲物を捕らえるとか、天敵から逃げようとするときのモードであり、それだけ緊張を要するモードである(アドレナリンが分泌され、血圧と心拍数が増大する)。

 これは沢庵禅師のいう「心をとどめている状態」であり、リラックスした状態ではない。フローまたはゾーンには、リラックスしながら、集中していないと、入ることができない。

 フェーミ博士は、意識的に空間を想像する(感じ取る)ことで、狭いフォーカスから、オープンなフォーカスへ移行することを発見したのである。
 私は、このフォーカスの仕方が、教育その他さまざまな分野で取り入れられるようになるだろう、と思っている。そのとき、ある種の革新が起こるだろう。(松永さんの記事の引用ここまで)


そうだったのです。「ナロー・フォーカス」ではなく「オープン・フォーカス」だったのです。対象に焦点を結ぶのではなく、対象の奥に焦点を結ぶ感じです。ですから「うすらぼんやり見る」ことになるのです。「ある種の革命が起こるだろう」と松永さんは結んでおられますが、これは本当にそれほど重要なことだと思います。早速アマゾンに注文しました。

そして、これはTKさんのまとめられた松永さんの「英語でスピリチュアルを読む」にでてくる「見るものと見られるもの」のWatcherとSilenceの図に通じるものがあります。
http://k-taka.net/noosphere/kw/matsu_spi.htm

そしてまさに宮本武蔵のいう「観の目強く見の目弱くし、相手をうらやかに見るべし」です。

観の目とKeep some within - ウィルバー哲学に思う



以下、Absorptive−Witnessing段階の続きです。(以下抜粋拙訳)

Absorptive−Witnessingの個人はこれを彼らのリアリティとして経験するでしょう。スピリチュアルな気づきと洞察は日常的な経験の特徴となり、…
Cook-Greuter、彼女はこの段階の心理学的構造において最も明確に実証できる仕事を成し遂げましが、それを彼女はunitive段階と呼び、こう言っています。

Unitive段階の人にとって、至高体験はもはや、この世のものとは思えない性質のものではなく、存在し体験する…ひとつの習慣的なありようとなります。彼ら自身の、内面的プロセスのふるまい(goings on)に集中する能力によって、「フロー」のような状態は、慣習的段階にあるよりもっと頻繁に起こるでしょう。超自然的なものへのアクセスと変容意識の状態は、もちろん、すべての段階からも、多くの扉を通じて可能です。しかしながら、Unitive段階の人は、Unitiveな視点を持続することができるように、その視点こそまるで自宅にいるかのように(as a home base)、なり始めるのです。(拙訳ここまで)




このあと、本文ではウィルバー(1995)のpsychic、subtle、causalという変容状態の定義がそれぞれ述べられています。

しかしこのAbsorptive−Witnessing段階のひとつ目の特徴である「変性状態の一貫した経験」のポイントは、次のこの言葉に集約されると思いました。

「この段階の個人は、ときどき集中(focus)あるいは注意(attention)をわずかに移行するだけで、この状態を誘発します。」

そしてその具体的なスキルは、焦点を動くもの、変化するものに合わせては駄目だということではないでしょうか。動くボール、動く剣にそのものに焦点を合わせるのでなく、それは「見の目」でむしろ弱く見るのです。そしてその奥の、静止している背景、空間に焦点を合わせるのです。青空に焦点を合わせながら雲や山を見るような感じです。「観の目うらやかに相手を見るべし」の「観の目」は静止を聞き、空を見る目です。

松尾芭蕉宮本武蔵座頭市…日本にはAbsorptive−Witnessingのヒントになる文化がたくさんあるのだとあらためて思いました。

今回は変性状態への没入をテーマにしました。これは知覚の側面で意識的にどうすればいいか、すなわちボディモジュールのテーマだと思われます。それに対し次に取り上げるAbsorptive−Witnessing段階の二つ目の特徴である「目撃する認知」は例えば「思考を目撃する」というような認知のありようの問題、認知の発達ラインのレベルなので(Witnessingは認知の発達ラインの最も高い段階p81)マインドモジュールのテーマなのかなと思われます。このことは次回取り上げます。