姫路市においていた有限会社をこちら(大阪府茨木市)に移転登記し、ついでに商号も変えて、年初に再出発しようと先月からいろいろと考え抜いて、決めた社名が「経営マトリクス研究所」である。
「経営」はともかく、なぜ「マトリクス(orマトリックス)」なのか?
じつは私にとって「マトリクス」は第3期を迎えている。
最近、興味を持っている「仏教3.0」を真似させていただくなら、私にとってのマトリクスの現在は「マトリクス3.0」なのである。
第1期は中小企業診断士の勉強を始めた24歳の頃で、勤めていた金融機関のQCサークル活動で、営業と店頭業務のマトリクス組織を提案したことがある。今では有名な村田製作所の「マトリックス経営」を参考にしたものだった。6か月間ほど支店で実践することになり、多少の効果も出て、成果発表会では部長からお褒めの言葉もいただいたと記憶している。それが一番初めだろう。
その後、コンサル会社に移り、経営コンサルタントとして仕事をする中で、アンゾフの「商品市場マトリクス」や「PPM分析マトリクス」、「状況対応型リーダーシップのマトリクス」、「新QC7つ道具としてのマトリクス」…などなど、四象限を中心にビジネス・マトリクスを当たり前のように使用してきた。
マトリクスを活用することで戦略的思考が整理されるのである。それが第1期、いうなれば「マトリクス1.0」である。
そして第2期は、このブログのタイトルにもなっているケンウィルバーのインテグラル理論の活用としてはじまった。
下図に示した四象限(クワドラント)である。
この統合的な視点をもたらすクワドラントは2002年頃から関わっている医療NPOの事業領域を表現するうえで大変便利なだけでなく、様々なインスピレーションを刺激してくれた。
現在のホームページのインテグラル・サポートというコンセプトにも活用され続けている。
内部の打ち合わせで分からなくなったときは、いつもここに戻ると、私たちが何をしようとしていたのかを確認できる。「分からなくなったら四象限に戻れ!」は、ひとつの合言葉だ。
これが「マトリクス2.0」といえるだろう。
そして今、私にとってマトリクスという言葉は、第3期を迎えた。
この第3期マトリクスは、四象限とか行列で表現される思考のツールなのではなく、本来のマトリクスの語源(ラテン語Mater母+ix 子宮、母体の意)にあるような、ものを生み出す創造の源としての知性だ。
また古代インドの「母神」のサンスクリット語は「マートリカ」であるという。
赤ちゃんがいる母親の胎内という意味の「母胎」という言葉が、ぴったりくる感じがする。
ビジネス領域でいうならば、新ビジネスをインキュベートする孵卵器の働きともいえるだろう。
知性の全体を氷山に喩えていうなら、水面上に見える部分は言語化できる論理的知性である。それに対し、水面下に隠れていて見えない(無意識である)が、新しいものを生み出す母胎として働いている知性がある。中沢新一氏の表現を借りるなら「対称性の原理」で働く「流動的知性」(注)である。
「分別知」を下から支える「無分別智」ともいえる。
河合隼雄氏いわく、
マトリックスはまさに曼荼羅です。「胎蔵界曼荼羅」、英語にしたら「マトリックス」。(『仏教が好き』(朝日文庫)p263)
シンクロニシティの源でもある。
そして、このブログで何とか迫ろうとしている知性の真髄であり、それが私にとっての「マトリクス3.0」である。
「経営」とはもともと仏教用語で、人生をどう営むか?という生き方そのものを意味するという説がある。とするなら、
生きかた(経営)の元となる知性を生み出すことの探求… … …
「経営マトリクス研究所」を、どうぞよろしくお願いいたします<m(__)m>。
(注)「対称性の原理」…異質に見えるものの間に同質性を見出し、分離を乗り超えようとする働き。「流動的知性」…ネアンデルタール人にはなく現生人類にはじめて現れた象徴的思考。脳神経組織の異質な領域を横断的に高速で流れる。いずれも『対称性の人類学』(中沢新一著)参照