ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

創造プロセス、粗大Ⅰ→微細→粗大Ⅱ

通常の意識状態(粗大)から微細に入り、再び粗大へと戻ってくる時に洞察を伴うことがしばしばある。

若きコンサル時代にも、高圧状態まで考えつくして、いったん忘れて眠る、そして翌朝目覚めると、素晴らしい仮説、経営課題の葛藤を止揚しうる戦略などを思いつく、そんな経験が幾度となくあった。

 

中川吉晴氏の本にこう書かれている。

生の深みにある微細な経験過程のなかでは、その都度なにかが生じている。その経験過程から起こってくるものを受けとめて表現することが、生の創造的な実現になる。瞬間を充分に生きるというのは、微細な経験過程に気づき、そこで生じていることを表現にまでもたらすことをふくんでいる。表現とは現実世界における形式であり、形をもたない微細な経験が表現にまでもたらされてはじめて、経験過程は私たちの世界のなかで現実化される。(『気づきのホリスティック・アプローチ』中川吉晴著p253)

仏教の般若思想においては、これは「色即是空・空即是色」の後半にあたる「空」から「色」(もの)へと出てくる世界である。空は往道(色即是空)においては、あらゆるものがそこにおいて解体される無の場所であるが、還道(空即是色)においては、あらゆるものがそこから立あらわれるマトリックス(母体)となる。色から空へといたり、そして空から色へ蘇ってくるとき、すべては「如」(タタター)となる。(同、p267)

そうか!微細から粗大への道は空即是色の還道だったのだ。

 

いいかえるなら、井筒敏彦のいう「分節Ⅰ→無本質化→分節Ⅱ」のプロセスである。

 

このプロセスでは無(空)の前の分節とそれを経た後の分節が似て非なるものであることから分節Ⅰと分節Ⅱと表記されている。

 

同様に微細に入る前の粗大(ここでは仮に粗大Ⅰと表す)と、微細の経験過程を経たあとの粗大(同様に粗大Ⅱと表す)も質的に大きくことなるものである。

 

名作『素晴らしき哉、人生!』で天使が垣間みせたトリック(微細)の前後でのジョージの変貌ぶり(粗大Ⅰ→粗大Ⅱ)がまさに典型例といえるだろう。

 

中川さんはそれ(粗大Ⅱ)を、「絵や写真などの視覚アート、詩や散文のライティング、動きによるダンスやムーブメント、声、音楽、サウンド、ドラマなど」の表現で創造の自由さを味わうべし、という。

 

創造プロセス、それは空即是色の還道である。分断された粗大のベールを剥がして、無濾過のリアリティを感得し、それを独自の方法で表現する。

 

その創造物は元の粗大とは似て非なるもの、全体性をまとった局所性である。

 

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