ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

実存的能力

実存的な能力については、ガードナーのいう多重知性の9番目の知能の候補であるExistential Intelligenceのことを4月14日のブログで取り上げました。
そして、先月末に出版された「インテグラル理論入門Ⅰウィルバーの意識論」(春秋社)の「第7章 インテグラル理論の特質」のなかで鈴木規夫氏が「実存的能力」のすばらしい説明をされていて、大変理解が深まりました。以下その説明部分の一部です。

意識の発達段階がインテグラル段階に到達すると、こうしたアイデンティティのあり方に根本的な変化が訪れます。そうした価値観や世界観に立脚したあり方ではなく、そうした価値観や世界観を対象化できるひとりの人間存在の意識そのもの、あるいは存在そのものに重心を移行することになるのです。今、この瞬間ここに存在する一人の人間であるということ―それは私たちが大切にしている一つ一つの知識や技術や経験とは質的に異なるものです。むしろ、それは、それらを多く所有しているか、少なく所有しているかということとは関係なく、私たちが今ここにあることそのもののなかに内包されているものなのです。(P177より引用)


私なりに大切な文言を太字で強調させていただきました。

頭に浮かんだのは「目撃者に軸足を移すこと」です。そして「主体としての空」です。また実存的病理を乗り越えるプロセスを思い出しました。

すなわち、実存的能力が高まるとは、特定の価値観や世界観を身につけ、それと同一化することではなくむしろ、自らを空としてあらゆる価値観や世界観を対象化し、共感できる能力が高まること、を含んでいるといえそうです。

また次の文にもグッときました。

実存的な現実を認識するとは、人間として世界に存在することが不可避的に伴うことになる条件に目覚めることを意味します。(p178より)


この現実という言葉をリアリティと読むとさらに実感がわきました。このあたりを読んでいくにつれ、私たちがNPOをやっていることの一つの意味は、自分たちの実存的能力を高めること、および他者の実存的能力を高めることの支援であると直感しました。

インテグラル段階とは、人間として誰もが必然的にもつ「悲しみ」を真摯に抱擁することによって得られる高次の普遍的な視野をもたらすものといえましょう。(P179より)


これこそがCompassionate ExchangeのCompassionateの表現だと思いました。

これは重要な気づきです。ややもするとグリーン/レッド・コンプレックスに陥りがちな医療福祉NPOの業界にあって「実存的能力」という切り口は一つの突破口になるかもしれません。