ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

マンダラとは1

f:id:nagaalert:20190506162345p:plain

NHKこころの時代『マンダラと生きる』(正木晃著)

私たちのNPOでマンダラを折り鶴で表現しようという試みが始まり、ではマンダラとは何か?まずは基本の基を学ぼう!ということで昨日ミニ勉強会の1回目を実施しました。

NHKこころの時代で放送された番組のテキスト『マンダラと生きる』(正木晃著)を参考にまずは、前半です。

マンダラとは・・・

密教」と呼ばれるタイプの仏教が、

世界の構造や心の構造に関する最高の真理を、

言葉や文字ではなく、視覚を通して伝えるために開発した図像。

幾何学的な構成や強い対称性が特徴。

 

 日本のマンダラ

九世紀初頭、空海が中国から本格的な密教とともに持ち帰ったマンダラは独自の進化を遂げた。

「胎蔵マンダラ」と「金剛界マンダラ」という異質なものどうしが両立する「両部不二」の体系が創造され、日本の密教は深化した。

 

マンダラ塗り絵で心身ともに癒される?

自然界にはマンダラの特徴である対称性、円形、幾何学的な形態がいたるところに見られる(花、幹、茎、実の断面、雪の結晶、蜜柑やキュウリの断面、天体、鉱物の結晶、ミツバチの巣)。

ユングはマンダラは全人類に共通する集合的無意識に由来しており、元型のもつ普遍的作用が癒しをもたらすと考えた。

 

 世界とつながる「胎蔵マンダラ」

マンダラ第一号は密教経典の『大日経』に基づいて描かれている胎蔵マンダラ。

大日経が説く世界観を『胎蔵』という。=胎(子宮)。

子宮がやがて人となる胎児を宿し育むように、大日如来にによってあらゆる事物が含蔵され、育成される。

大日如来は、あらゆる事物の子宮(Matrix)。

つまり、みな大日如来の子どもなのだ。

このことを図像したのが「大悲胎蔵生マンダラ」

自然そのものがマンダラ→「草木国土悉皆成仏」

大日如来は、あらゆる事物の子宮と書かれていました。。Matrix(マトリックス)です。

中国の巨人盤古説との対比も興味深いです。

天と地は最初未分化の状態だった。そこから盤古という巨人が生まれ、盤古が巨大化するにつれて、天を押し上げたので、天と地が分かれた。盤古が死んで、その死体から万物が生まれた、という。

 

 胎蔵マンダラは「外部との絆をもたらす」方向にあるが、金剛界マンダラは私個人の「心と体の統合をもたらす」方向性にある、と書かれています。

ということは、インテグラル理論の4象限マトリクスで言うと、右下・左下の象限が胎蔵マンダラに対応し、右上・左上の象限が金剛界マンダラに対応するといえなくもありません。

ということで次回は金剛マンダラの基本の基を見ていきたいと思います。

テロメアを育む!

f:id:nagaalert:20190101104833j:plain

テロメアを育む4象限アプローチ

 

2019年、新年明けましておめでとうございます。

 

今年の元日の記事のタイトルは『テロメアを育む!』です。

ノーベル医学生理学賞受賞者(2009)のエリザベス・ブラックバーン博士が、共同研究者で健康心理学者のエリッサ・エペルと共著で書いた『テロメア・エフェクト』(NHK出版)を、昨年の秋口から読む機会に恵まれ、その包括的なアプローチに感動し、「これだ!」と膝を打ちました。

 

クローズアップ現代でも一昨年に放送されたことから、耳にすることの多くなった単語「テロメア」ですが、私たちの細胞の中にある染色体の末端部分にあるDNAを保護するタンパク質でできた鞘のような部分にテロメアはあります。ヒトの通常の細胞が細胞死するまでに分裂できる回数は有限です。細胞が分裂を繰り返すたびに、このテロメアは短くなっていき、やがて分裂は止まりその細胞は再生されなくなります。テロメアの長さ(telomere length テロメア長)が、再生の回数を左右することから「命の回数券」などと呼ばれています。

 

このことからテロメアは私たちの健康寿命(寿命から要介護期間を引いた年齢)を伸ばすためのキーワードとして、「炎症加齢(インフラメイジング)」や「ミトコンドリア」に並び、あるいはそれらの機序とも関連して、近年注目されるようになりました。

 

医学的生理学的な詳細はいくらでも専門的な記事を検索できますので他に譲るとして、この『テロメア・エフェクト』のすばらしい包括的アプローチを分かりやすく人に伝えるため、4象限マトリクス(上図)にまとめてみました。

テロメア長を伸ばす、維持することを「テロメアを育む」と表現して中央に表示し、その目的に対して、4つの角度からのアプローチがあることを図示しています。

 

いつものように右上象限は個人的外面的アプローチを表わしますので、「体を整える」と表現しました。

 

この象限に並ぶ項目の一つ目は「運動」です。

運動をする人のテロメアはしない人に比べて長いといいます。左上象限「心を整える」のストレスの項目と関係しますが、定期的な運動によってストレスホルモンであるコルチゾールの産生を抑制します。体重管理の面からも「適度な運動」が大切です。具体的にいうと内臓脂肪を燃焼させる有酸素運動とインターバル・トレーニングです。アスリートの世界で従来疲労物質としてネガティブにとらえられていた乳酸が、実はミトコンドリアの増大に関係していることが分かり、乳酸閾値まで負荷を上げるトレーニングの意義も聞かれるようになりました。45分以上の有酸素運動を週3回以上しましょう!そのためにウォーキングしましょう、ゆっくりでいいからジョギングしてみてはどうでしょうか?などと誰でもできる適度な運動が推奨されています。

 

私は、独りでするウォーキングやジョギングではなく、左下象限(集団の内面)への波及も考慮して、近年人気急上昇(?)の卓球を昨年10月から再開しました。本格的な練習は中高校生以来ですから約40年ぶりとなります。2時間練習すると、大量の汗をかき、翌日はきき腕と下半身が筋肉痛となります。

一般的に最大心拍数は「220-年齢」で計算されるため57歳の私は163bpmであり、その50~70%である82~114bpmの心拍数にまで上がるような運動が脂肪を燃焼する有酸素運動となります。しかし有酸素運動だけだと、脂肪燃焼を開始するまでに約30分かかると言われています。それでは開始から30分は脂肪燃焼の点では意味がないことになってしまいます。しかしやや高強度のインターバル・トレーニングとして、はじめに30秒ほど小走りのような負荷の高い運動をする、次にスローダウンし脈を整える、また負荷を上げる、スローダウンする…ということを繰り返せば、5分で脂肪燃焼が開始します。汗が出てきたら有酸素運動に入ったというサインなのだそうです。またこうしたインターバル・トレーニングはエネルギー枯渇状態を作り出すことでミトコンドリアを増やす働きがあります(太田成男 日本医科大教授)。

 卓球はフォアハンド、バックショート、ツッツキといった基礎練習は有酸素運動で、ゲームさながらのオールラウンドは負荷の高い無酸素運動と負荷が低めの有酸素運動が繰り返される競技なので、インターバル・トレーニングと有酸素運動を合わせもつスポーツであるといえるでしょう。

 

二つ目に大切なのは、やはり「睡眠」です。質の悪い睡眠、睡眠負債睡眠障害などはみな、テロメアの短縮と相関があるといいます。私もスマート・リストバンドを利用して睡眠状態を計測していますが、まずは毎日しっかりと7時間以上の睡眠時間をとることが大切です。平日は5時間しか眠れないけど、休みの日に10時間寝て「寝だめする」と言う人がいますが、睡眠負債はそれでは解消されない(返済されない)ことが分かっています。睡眠が足りないと認知症の原因物質の一つであるアミロイドβの除去が滞ることで、睡眠負債認知症のリスクを高めるということも明らかになっています。

それから睡眠の質も大切です。年を重ねると眠りが浅くなりがちですが、深い眠りが連続するようトイレにおきる回数を減らす、そのために就寝前3時間は飲食を控えるなどの工夫をせねばなりません。レム睡眠は、コルチゾール分泌抑制やつらい記憶をいやしたりニューロン間の新しいつながりを作るなど大切な機能を果たしているので、睡眠時間全体の10%~30%の構成になることが望ましいとされています。いびきの激しい人は睡眠時無呼吸のリスクが高く、毎日のように昼間に眠気が襲ってきたり、寝汗や、朝の目覚め時にぐったりとした疲労感があるようなら診察を受けた方が良いとされています。

本書では、左上象限(個人の内面)の項目と関連しますが、「マインドフルネス不眠療法(MBTI)」を実践することで6か月間で80%の人に睡眠の改善が見られたことなどが紹介されています。

 

この象限の3つ目は「体重管理とバランス食」です。

メタボリック・シンドロームについて、日本では腹囲が男性85cm以上、女性90cm以上が第一の条件で、高血圧、高血糖、脂質異常のうち2つが基準値をオーバーしていることとされていますが、この『テロメア・エフェクト』の中では、腹囲は絶対値よりもウェストとヒップの比が重要でW/H比(%)が100%以下であること、とされています。

ダイエットは食事を減らすカロリー制限だけで達成しようとするのはよくありません。心筋梗塞脳卒中、がん、糖尿病につながる内臓脂肪を減らすことが肝要で、食事を減らすだけでは筋肉がやせることにつながると言います。筋肉のやせ細りはサルコペニアといって、フレイル(介護状態前の虚弱状態)の原因になりますので、地中海食や日本食(大豆、海藻、魚、乳製品、野菜)を意識したバランス食と運動を組み合わせることが大切です。

青魚やアマニ油に含まれるオメガ3脂肪酸テロメアの急速な短縮を防ぐと書かれています。また加齢とともに増加する「ホモシステイン」という物質は炎症と相関があり、心血管や認知症との遠因となる、葉酸塩やビタミンB12をとることで改善する、とされています。またホモシステインの増加は認知症の原因になるとも言われています。

 

それから見逃してはいけないのが「インスリン抵抗性」です。これも認知症の原因としても近年注目が集まっています。

血糖値が高くなり過ぎないように分泌されるのがインスリンです。血糖値が正常の範囲内なら問題ないと考えるのが普通ですが、一方でインスリンが効かなくなってきているというリスクがあります。血糖値を下げるためにより多くのインスリンを分泌する必要があるのです。これは血液検査でインスリン血中濃度を調べれば分かります。血糖値は基準内でもインスリンが基準値より高ければ、インスリン抵抗性が高まっている(効きが悪くなっている)証拠です。そして血糖値を下げるためにより多くのインスリンが血液中に入っていきますが、血糖値が下がった後は、速やかに過剰なインスリンが分解される必要があります。その分解酵素IDEと言いますが、実はこのインスリン分解酵素IDE認知症の原因タンパクの一つであるアミロイドβを分解してくれる酵素でもあります。IDEインスリンの分解に手古摺っているとアミロイドβの分解にまで手が回りません。こうしてインスリン抵抗性が高まることは、認知症へと繋がっていく(デール・プレデセンThe End of Alzheimer’s)のです。

 

予防するには砂糖の量をカットすることが最重要ですが、砂糖渇望症と上手に付き合うための方法の一つとして『テロメア・エフェクト』ではマインドフル・イーティングに触れています。プログラムの実践で一年後に血糖値が下がることが確認されたマインドフルネス食事認識トレーニング等が紹介されています。

・・・

 右上象限だけでいつのまにかこんなに文字数を費やしてしまいました。(;^_^A

 

左上象限(個人の内面)「心を整える」

右下象限(集団の外面)「環境を整える」

左下象限(集団の内面)「人間関係を整える」

については、また日を改めて書きたいと思います。

テロメアを意識的に育む」一年にしたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。m(__)m 

供花のブリコラージュ

f:id:nagaalert:20181021175238j:plain

義理の母で、お花の師匠でもあった翠月先生が今月初旬に亡くなられました。葬儀では本当にたくさんの供花が飾られ、その一部を持ち帰ることになりました。

また先日、社中のお弟子さんから送り先不在で滞っていた見事なお花が届きました。

この写真はそれらの供花の残りを「ブリコラージュ」して生けたお花です。

100分de名著「野生の思考」レヴィ=ストロースを解説した中沢新一氏によると、ブリコラージュとは、「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る」ことだといいます。

科学的思考では、まず「概念」(ここでは、ある特定の用途にぴったり合うように作り出された知的道具という意)を組み立てることから始めるが、先住民の思考は「記号」を用いているとのこと。

記号には概念とちがってはじめから「ゆらぎ」や「ずれ」が含まれている。言語という記号では隠喩(メタファー)と換喩(メトミー)が基礎になっている。似ているもので表現するのが隠喩(例えば女性を花に喩える)、部分で全体を表現するのが換喩(たとえば帆でヨットを表現する)。

記号は対象とぴったり合致することはなく、たえずゆれ動きをはらんでいる。「ありあわせの道具材料」を記号として用いるブリコラージュでは「でき上ったとき、計画は当初の意図とは不可避的にずれる」。

そしてアール・ブリュット(生の芸術)などの作品の特徴は、「概念的」ではなく「記号的」に素材を組み合わせる自由さにあり、ブリコラージュ的才能を持った人の手になる構築物は、まるで生命を持っているかのように動く、といいます。

私が使うのはおこがましい気がしますが、いろいろな思いを胸に生けたお花でもあるので、写真だけではなく「ブリコラージュ」という言葉とともにここに記しました。

蓮輪翠月先生、ありがとうございました。

 

 

記憶に残る3つのブログ記事

このブログを本格的に書き始めたのは、2009年の元日からです。

 

今年の年末で10年を迎えるということで、自分なりに記憶に残るブログ記事、自分にとって大きな変化につながったブログ記事はどれであったかを考えました。

 

今回はこの10年間の前半、2009年から2014年までの5年間で、強く記憶に残っている自分のブログ記事を3つ取り上げ、簡単に振り返ってみたいと思います。

 

まず、

nagaalert.hatenablog.com

です。

この2009年9月25日のブログ記事を書いた時のことは今でもはっきり覚えています。不安なことがあって、胸がやや締め付けられるような感覚があり、その内容についてあれこれ思いを巡らしていたのですが、ふと、こんな時こそ、今まで(このブログで)積み重ねてきたことを実践すべき時だということに気づき、やってみました。

記事に書いている通り、自分でも驚くほどの状態の転換が起こりました。

 

理論的にはまだまだ未整理な段階ではありましたが、試行錯誤から一つの確信に変わった、自分にとって大きな出来事でありました。

 

二つ目のブログ記事は2011年12月26日の

nagaalert.hatenablog.com

 です。

 

丁寧な説明が全くない無礼な自分の用のブログ記事なのですが、図にして表現しただけあって、これまで何度もここに立ち戻ることができています。この基本構造は今でも大きく変わっていません。「世界」や「他者」などいくらか追加するパーツは増えましたが。

 

 

そして三つ目は、2014年12月27日の

nagaalert.hatenablog.com

です。

 

黒澤明が選んだ100本の映画」のうちの一本である(Wikipedia)とされる映画です。

ここに私が書いたようなインスピレーションをどれほど意識して作られたのかは定かではありません。たくさんのお金を持つものがリッチなのではなく、多くの友人を持つ者こそ本当のリッチなのだというメッセージが映画の終盤で流れますので、表面的にはそのように見て十分感動できるクリスマス映画だといえます。

 

しかし私がこの映画がから得たインスピレーションは

 

わたしと世界はセットである

 

ということです。

 

25年ぐらい前に読んだジョアンナメイシ―の『世界は恋人 世界はわたし』(World as Lover, World as Self)を、もう一度買って読みたくなりました。

 

以上、駆け足ですが10年前から5年前までの「記憶に残る3つのブログ記事」を振り返ってみました。

病理的ヒエラルキーの温床としての家父長的家制度

ノモンハン責任なき戦い』と題したノモンハン事件(1939年、日本の死傷者は2万人)のドキュメンタリー番組を見ていて、なぜこうした甘い見通しの無責任かつ服従的なヒエラルキーが出来上がったのか?いつから日本はこうなってしまったのか?という疑問が頭の隅にあり、一方で個人的な問題から戦前の民法の旧規定と家父長的家制度を調べているうちに、その両方がかなり繋がっていることが見えてきた。

 

www6.nhk.or.jp

まず8月19日NHKスペシャルではこう報じられていた。

司馬遼太郎は、「一体こういう馬鹿なことをやる国は何なのだろう。日本とは何か、日本人とは何か」と書いている。

取材を進めた司馬は陸軍の上層部のあり様に、嫌気がさし執筆を断念したという。

ある幹部は「敵の能力を軽視し、甘い見通しで戦争に突入した。」と証言した。

「陸軍の上層部は、国の重大事にもかかわらず、あいまいな意思決定、あいまいな対応に終始し現地軍の暴走を止めることができなかった。」

「敗北の責任は現場に押し付けられていった」「敗北の教訓は生かされなかった。2年後に起こった太平洋戦争で同じ失敗が繰り返された。敵の実力を軽視し甘い見通しで始めた戦争。敗戦が決定的になったあとも無謀な作戦が繰り返され部隊の全滅が相次いだ」と。

  

一方で個人的な理由から戦前の民法(明治31年制定)と戦後の民法(昭和23年制定)の違いや家父長制について調べていて、

特に参考になったのは申 蓮花氏の『日本の家父長的家制度について』である。

http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun8-4/shen.pdf

いくつか抜粋してみると・・・

 

家父長的家は中世から始まり、また近世に武士階層で定着したが、「家父長的家制度」つまり家父長的家を制度化したのは近代の明治政府である。

家族の地位順は戸主(家父長)を一番に、下は儒教的な順番で尊属、直系、男性を上に、卑属、傍系、女性を下にし、戸主優位を確立し家族員への統制を可能にした。

相続は嫡出長男相続制をとることで兄弟争いや家産の細分化を防ぎ家自体の存続を保てるように規定した。

なぜ、明治政府は家父長に統制権を与えたのか。

それは明治政府の中央集権的な統制の構造(天皇―政府―府県―区長―戸長―戸主)にあるという。

戸主すなわち家父長はその統制の末端にあり、このような統制構造を通じて家々までその統制が行き届いた。

それは明治政府の「富国強兵」実現のためであり、それを支える「地租改正」と「徴兵制」を浸透させるために天皇から家までの一貫した統制構造が必要だったという。

〈親子の服従関係〉・・・家父長が家の全権であり、子どもに収入があっても財布は家父長が握り、子どもは家父長に完全な「孝」を強要されていた。

〈子供達の地位差〉・・・家産の相続者としての長男の地位は高く、次三男の地位は格段に低い。娘の地位は家産の持ち出しになると考えられさらに低かった。

〈女性への差別〉・・・嫁になる前にまず相手の家に入って、舅姑らに気に入られ、合格と判断されてやっと結婚ができる。結婚する前は親に従い、結婚後は夫に従い、夫亡き後は息子に従うべきという「三従」といわれる封建的束縛。

この統制構造を通じて国民の一人一人を統制でき、政策を貫通できることによって「富国強兵」が実現可能となった。家父長的家制度の親子関係を国家と家の関係に利用され「家族的国家観」に発展し、やがて忠孝のために人々は命を捨てて戦争に飛び込んだ、

 

などと書かれている。

 

やや一面的で荒っぽい見方のような気もするが、納得がいった、腑に落ちた感がある。

 

病理的ヒエラルキーは、上位のホロンがその地位を不法行使して下位のホロンを支配しようとするときに起こる。  nagaalert.hatenablog.com

もし高位のレベルが低位のレベルに強い影響力を行使できるなら、高位のレベルは低位のレベルを過剰に支配したり、抑圧したり、疎外さえしたりできることになる。このことがただちに、私たちを個人および社会全体における多くの困難な病理現象の問題に導く。

 

日大アメフト部のレッド的ヒエラルキーが短期的には奏功し日本一を奪還できたが、しかしその後内部から崩壊していった姿と、富国強兵―家父長的家制度という統制構造が、日清・日露戦争では短期的には奏功(?)したものの、時とともに病理的ヒエラルキーと化し、ノモンハン事件での惨劇、2年後にその惨敗が顧みられることなく太平洋戦争に突入する無謀さ、ヒエラルキー構造が内部から腐っていった姿が重なる。

 

その意味では、家父長的家制度は病理的ヒエラルキーの温床として働いたのである。

 

そしてさらにこうした病理的ヒエラルキーはハラスメントの温床となっていく。

 

昨今取りざたされるパワハラ、セクハラの背景に、こうした「女性への差別意識」「地位差にもとづく服従関係」があるのは間違いない。それは中世から始まり明治政府によって強固に制度化された家父長的家制度によって醸成され、戦後になって民法が改定された後もなお慣習的に温存されてきたものではないだろうか。

 

このことは、「ティール組織」※の考察と関連して、また書きたいと思います。

 

※『セルフマネジメント(自主経営)』や『ホールネス(全体性)』、『組織の存在目的』など、従来のものとは大きく異なる独自の組織構造や慣例、文化を持つ次世代型組織モデル。ウィルバーの提唱するインテグラル理論を経営組織に適用したもの。

追いつめて服従させる「レッド組織」

(出典:フレデリック・ラルー著『ティール組織』)

f:id:nagaalert:20180527154155p:plain

日大アメフト選手の記者会見、その後、日大の監督とコーチの記者会見を見ていて、森加計問題に引き続き、また出た、エルサレムアイヒマン現象!と思いました。そしてさらに、ああ分かった、この組織(日大アメフト部)には、「レッド」の価値観(RED−Power Worldview)が息づいているのだ、と。

 

選手は練習からはずされ、選ばれていた日本代表も辞退するよう命令され、当日の試合もスタメン落ち、するという形で、精神的に追い詰められていました(『クローズアップ現代』での日大アメフト部OBの話によると、このような追いつめ方は当該監督の常套手段だといいます)。

そこで関西学院大の司令塔であるQBをつぶせば出場させてやると言われ、悪質タックルを実行するに及びました。

監督とコーチは重大な反則行為を、チームとして指示したのです。

コーチは記者会見で、選手に変わってほしかった、闘争心を出してほしかった、と何度も言いました。

選手に成長してほしかった、などとコーチは言っていましたが、それは「成長」ではなく発達や倫理の段階をむしろ「落ちる」ことだったのだと私には思われました。

 

RED−Power Worldview 「レッド‐力の世界観」については2009年8月22日のブログでウィルバーのインテグラル理論より紹介させていただきました。

発達とは人類の進化を辿ること - ウィルバー哲学に思う

 

この価値観が、最近興味深く読み進めている『ティール組織』(フレデリック・ラルー著)で、発達段階の下から3番目の組織内価値観として次のように解説されています(個人の価値観の発達段階や組織(集団)の進化の段階を7つの色で表現する。ちなみに本書が進化型として取り上げる「ティール」は「レッド」よりも4段階上の第7のステージです)。

 

(『ティール』組織P32より引用)

衝動型〔レッド〕組織

この組織は、まず強力な上下関係が原始的な王国へと成長する過程で形成された、小規模で支配的な集団という形で現れた。現代ではギャングやマフィアなどにまだまだ見られる組織である。今日のレッド組織は、現代風のツールやアイデアを取り入れ、武器や情報技術を駆使して組織的犯罪を考案している。しかし、その組織の構造と慣行は、たいていレッド・パラダイムの中で形成されている。

 レッド組織の決定的な特徴とは何だろうか?対人関係に力を行使し続けることであり、それが人と人を結びつける要素になっているという点だ。オオカミの群れはよい比喩だ。オオカミの群れでは、「アルファ・ウルフ」呼ばれるトップが、自らの地位を維持するために必要に応じて力を使う。これと同じく、レッド組織の長がその地位にとどまるためには、圧倒的な力を誇示し、他の構成員を無理やり従わせなければならない。一瞬でも隙を見せると、他のだれかに寝首をかかれてしまう。トップは少しでも安定を得ようと、自分の周りを(他のメンバーよりはたいてい忠実な)家族〔ファミリー〕で固め、獲物を分け与えて忠誠を買う。トップの側近メンバーも自分の配下の面倒を見て彼らを統率する。

 全体としては、正式な階層も役職も存在しない。・・・トップはいつも残虐性を示して罰を与え続けねばならない。組織の崩壊を防ぐのは恐怖と服従だけだからだ。・・・

 

 

これはセルマンの対人関係能力の発達段階のレベル1に対応します。

Interpersonal知性と、セルマンの役割取得能力 - ウィルバー哲学に思う

発達段階レベル0では、自己中心的な対人関係しか取れないため、自分を押し通す方(他社変容志向)は「暴力」に訴え、自分を曲げる方(自己変容志向)は「逃げる」ことになります。レベル1に発達すると、自分と相手の違いは区別できるようになるので、自分を通す方は「命令や脅し」という方略を取ります。それに対し自分を曲げるタイプは「従う(服従)、諦める、助けを待つ」という対応を取ります。

 

監督は人事権を握ることでポジション・パワーを発揮してコーチにハラスメントを行うことが可能になりました。コーチの約半数は日本一のマンモス大学である日大の職員だといいます。コーチにプレッシャーをかけて人事権を背景に絶対服従の関係を確立したのです。

選手に対しても日大OBネットワークを駆使し卒業後の進路に対して大きな影響力を行使するといいます。

選手はアメフト選手として積み重ねてきた将来の夢を諦めるか、監督コーチに従うかの厳しい選択を迫られることになったのです。

 

一昨日の『クローズアップ現代』によると

前監督時代からのスパルタ式指導法、それで70年~80年代は日本一になったが、90年代になり選手の価値観も変化して求心力低下。内田監督に代わったがスパルタ式、昭和の指導法は変えず、求心力を大学の人事権を握るという方法で獲得した。

コーチでも選手の前で殴る(コーチも半分が職員であり人事権のある監督に逆らえない構造)。

コーチも選手も監督には絶対服従(卒業後の人事権まで握ることによる)。

まじめで、有望な学生がターゲットで、まず試合や練習から外す、精神的に追い詰められ、自分にどこか悪いところがあったのではないか?と考えさせ、そこで変われ!もっと成長するためだなどと言って、そして服従させ、ラフプレーを実行させる。

などなど・・・。

 

人を脅して言うことを聞かせようというレッドの組織論、これが日大アメフト部には息づいているのだと思われます。

 

しかし今回考察してみて分かったことは、アンバー組織であれ、オレンジ組織であれ、大なり小なり、私たちが嫌な思いをした時には、そのような立場を利用した脅迫めいた空気が、局所的あるいは断片的にかもしれませんが、漂っているのではないでしょうか。

 

レッドの価値観は、今もハラスメント(パワハラ、セクハラを含むモラル・ハラスメント)の形で、さまざまなところでひそかに息づいているのです。

 

モラル・ハラスメントについてはまた別の機会に取り上げたいと思います。

「見せかけの不運」から「高次の秩序」へ

3月6日のブログで『見せかけの不運』について書いた。

 

ある出来事を、その出来事単独で、その時の自分にとって好ましい事、好ましからざる事で分けて、あれは良い出来事、これは悪い出来事、前回は幸運な出来事、今回は不運な出来事というように判断する。人生において起こる事柄に対し、無意識でいると、ついついこのよう見方をしてしまう。

 

しかしそうではない見方がある。異なる見方にシフトするためのキーワードが「見せかけの不運」、あるいは「不運に見せかけた幸運」であった。一見、不運のように見えるが、長い目で見直すと一概にそうとは言えない。あるいはそのことがきっかけになって様々なことへ波及していった自分の人生を振り返るなら、むしろあの不運があったればこそ次のステージへ人生が展開していったのだという場合、それは「不運に見せかけた幸運」であったといえる。

 

しかしそれを後になってそう思うのでなく、いま一見そうした不運に見える出来事に見舞われているこの最中に、そうした見方にシフトすることができたなら、困難を乗り越える一助になるだろう。

 

そして久しぶりにエックハルト・トールのA New Earthに目を通していて、次のような一文に目が留まった。

 

(p194引用拙訳)

人は、中身(content)だけを自分と考え、「自分にとって何が良くて何が悪いのか、そんなことは分かっている」と考える。

いろいろな出来事を「自分にとって良いこと」と「悪いこと」に区別する。

しかしそれでは「人生の全体性」(wholeness of life)を断片的に認識することになる。

じつはその背景ではすべてが絡み合い、あらゆる出来事が「総体」(totality)の中で、あるべき場所と機能を有しているのに。

「総体」は、ものごとの表面だけを見ていては分からない。

「総体」は、部分の総和以上のもの、あなたの人生や世界の中身以上のものだから。

人生でも世界でも同じ。

一見ランダム(偶然)な、それどころかカオス(混沌)とさえいえる出来事の連なりの奥に、「高次の秩序」(higher order)や目的が隠されている。

禅ではこれを「好雪片々として別所に落ちず」と美しく表現する。

私たちは、思考を通しては、この「高次の秩序」を理解することはできない。

私たちが考えるのは中身についてなのに、「高次の秩序」は意識の無形の領域、普遍的な知性から生じているから。

でもそれを、垣間見ることはできる。

否、それ以上に、高次の目的へと至る道程の意識的参画者(conscious participant)として、その「高次の秩序」に合わせる(align with)こともできる。

・・・

隠された「調和」と「聖性」を感じ取れれば、あなたのある側面がそれと一体であることに気づく。

そこに気づけば、あなたはその「調和」の意識的な参画者になれるのだ。(引用ここまで)

 

 

このことを当ブログのシンボルマークである「円相ヘキサキュ―ブ」で表してみたい。

 

「出来事の一つ一つを良い悪いと断片的に認識すること」とは、

この図形を平面六角形(ヘキサゴン)として、その中身の各々の三角形を良い悪い(白or黒)と分けてバラバラに見ること。これはウィルバーの言葉では「知の眼」でみることである。

f:id:nagaalert:20180425184223j:plain

「ランダムな、カオスとさえいえる出来事の連なりの奥に、高次の秩序(higher order)や目的が隠されている」とは、

 

この図形の対角線に一定の秩序を見出し、ひとつの全体(wholeness)である3次元立方体(キューブ)として見ることである。三角形の集まりに見えた図形は、視点を変える(次元を繰り上がる)ことで、ムダのない秩序ある全体に変貌する。

これはウィルバーの言葉では「観想の眼」でみることである。

f:id:nagaalert:20180425184327j:plain

「人は、中身(content)だけを自分と考え」とあるが、前頁にこう書かれている。

 

では中身以外に何があるのか?その中身の存在を可能にしているもの、それは「意識の内なるスペース」(The inner space of consciousness)である。

 

「意識の内なるスペース」は、円相ヘキサキュ―ブの「円相」に対応する。ウィルバーの言葉では目撃者(Witness)だ。Awarenessといってもよい。

その中ですべてが生起する空開処(Openness)である。

f:id:nagaalert:20180425185422j:plain

すなわち「中身の自己」とだけ同一化し、Witnessの視点をもたないなら、人生の出来事はバラバラの断片である。それは良い事と悪い事がランダムにやってくるカオスである。

 

しかし、意識の内なるスペースであるWitnessに安らぐことができるなら、華厳のインドラの網のような、「高次の秩序」の存在を感じ取れるはずだ。

 

出来事を良い悪いと判断せず、ありのままを見れば、井筒のいう分節I→本質の無化→分節Ⅱが起こる。

ヘキサゴン→円相→キューブ、すなわち「円相ヘキサキュ―ブ」。

f:id:nagaalert:20180425185525j:plain

私は、いま起こっている事の背景に、「高次の秩序」を感じ取れるだろうか。

Rest as the Witness!目撃者に安らぐ。

さすれば「見せかけの不運」から、さらなる高み「高次の秩序」への道が開けるだろうか。