ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「目撃者の自己」と「複雑系の自己」

ウィルバーのいう「目撃者としての自己」と、ここ何回か記事で取り上げてきた「複雑系としての自己」を対比させて示せないかと考えて以下のような図を描いてみた。

 

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上図は「目撃者としての自己」(目撃者の自己)の広がりを私なりに示したものだ。
I(個人の内面)、We(集合の内面)、It(個人の外面)、Its(集合の外面)という4象限マトリスクはウィルバーのインテグラル理論の基本である。
目撃者(Witness)はどこに描くのがふさわしいのだろうか?
実は目撃者に位置はない。非位置なのだ。

であるから、4象限のどの象限にも属さない(つまりどこかの象限の中に描くのはふさわしくない)。あるいは逆にどの象限をも捉えているともいえる。
しかし便宜上、説明しやすいように左上象限の外側に眼を描いた。これが「目撃者としての自己」の眼である。

目撃者である眼からは3重の楕円(ループ)が広がっている。順番に見ていこう。

まず、一番小さな楕円は(個人の内面)象限に伸びている。
あなたは、空に雲が浮かんでいるのに気づくように、意識に生起する感情に気づくことができる。感情は対象(object)であり、あなたではない。主体であるあなたは客体(object)である感情に気づく。感情を見ているあなたは、目撃者である。
あなたは、空に浮かんでいる雲に気づくのと同じように、意識の中で湧き起こる思考に気づくことができる。気づくことができる思考とは対象であり、あなたではない。主体であるあなたは客体である思考に気づく。思考を見ているあなたは、目撃者である。

このように内面に生起する感情や思考と脱同一化し、それらを対象として観ることが目撃者の第一歩である。

次にIt、We、Itsへと伸びた2つ目の楕円である。
目撃者は、何の努力もなく身体に気づくことができる。立っているのか座っているのか、止まっているのか走っているのか、笑顔なのか汗をかいているのか、脈拍が速いか、体温が高いかなどなど。動作や身体の状態などの個体の外面(It)に気づいている。

同時に、「私たち」(We)にも気づくことができる。スポーツで所属しているチームが勝利した時、その一員であることを誇りに思う気持ち。所属感、共同体感覚。友情。あるいは家族間の愛情。そうした他者との感覚や共通の価値観に気づくことができる。それらは他者との間で間主観的に内面に生起する。それもまた対象である。

五感を通して身の回りの環境、自然(Its)に気づくことができる。鳥の囀りが聞こえる。風が冷たい。金木犀の香りがする。落ち葉を踏みしめる感覚。銀杏並木が美しい。蓄えられている記憶や知識とインプットされた情報がやりとりされ、それが何であるかが認識される(歪められることも多い)。それら世界を構成している諸物もまた意識のなかに生起しているのだと気づくことができる。

最後の3つ目の楕円では、I、It、We、Itsの各象限が4点生起し、それらすべてを包含する視点としての目撃者が自覚される。その意味ではI(左上)象限の外の縁に眼があるというよりもむしろ、4象限マトリクスの背景として目撃者は在るといった方がよいかもしれない。この意識は広大(Spaciousness)で、どんなものとも同一化しておらず、それゆえ空(Emptiness)であり、開かれている(Openness)。

意識のなかに4象限が生起している。それが左上I象限の外側の縁に目撃者の眼を描いた理由である
「目撃者のとしての自己」はこれら4象限の中のどのようなコンテンツとも同一化しない。それらのコンテンツはあくまでも意識に現れる対象であって、「自己」ではない。
(非二元としての自己ではこれらすべてのコンテンツが自己となり、自己=世界となるがここではそこまで踏み込まない。まだ私には踏み込めない。)

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「目撃者としての自己」に対し、こちらは私のイメージする「複雑系としての自己」(複雑系の自己)の図である。

複雑系の自己には位置がある。世界内観測者、世界内行為者としての位置である。
順を追って見ていこう。

まず、「位置がある」ということは、物理的な身体に依存している、身体に依拠しているといってよいだろう。そして行為→認識および認識→行為が相互作用として生じる。それが最初の小さなループ(Its-I)である。

次に、行為を通じて環境との相互作用が起こる。環境を改変し環境を創造する。逆に環境から身体が影響を受ける。認識が改まる。世界に対する一定の認識にもとづく行為によって他者との関係が生じる。他者との関係から新たな世界が生まれる。そうした相互依存関係が二つ目のループで示されている(It-Its-I-We)。

全ては相互作用しており、単独で固定した実在として存在するものは何もない。4象限の中味としてあるものは、すべて相互連関のネットワークとして存在している。個物と個物は相互に影響し合い、個は全体に反映され、全体は個に影響を与える。一つの珠玉に他のすべての珠玉が映し出されるインドラ網。それが「複雑系としての自己」の3つ目のループである。

「目撃者の自己」では3重の輪を楕円と表現したが、「複雑系の自己」では3重のループと呼びたくてそう表現した。なぜだろうか。

それは「目撃者の自己」がどちらかというと静的な存在で楕円によってその範囲をカバーしているというニュアンスが強いのに対し、「複雑系の自己」は動的なル-プとして回りながら全体が生成変化しているイメージが強いからだ。

目撃者の自己から非二元の自己へと突破することで「自己イコール世界」となるが、複雑系の自己では、自己は世界内行為者であり続け(であるから右上象限として位置づけされ)、私の表現では「世界と自己はセットである」として、(たしか小林道憲氏の表現では「宇宙は参加型の宇宙なのだ」という形で)、「自己イコール世界」となる。

個をある程度意識したままで、その相互依存的な世界の性質によって「個物としての固定した実体などない」として「本質」を「無化」するアプローチが「複雑系の自己」である。これは「個と個、個と全体の境界の消失」である。

それに対し、「意識の野」に現れるもの、生起するもの(それが普段私たちが何の疑いもなく自分と思っている「思考」も含めて)すべてを対象(客体)として目撃したのち、目撃している自己すらも消え去るというアプローチが「目撃者の自己」である。これは「自己と対象(世界)の境界の消失」である。

 

言葉足らず説明不足をお許しください。お付き合いいただき、ありがとうございました<m(__)m>。

 

徹底的な安心感とマトリックス

平成29年6月10日のブログで吉福伸逸氏のいうマトリックスのことを書いた。それはエネルギー源の提供、徹底的な安心感、排泄物の処理という3大機能をもち、子どもの成長とともに子宮から、母親、そして家庭、自然界や仲間、会社へと移行していく。

 

nagaalert.hatenablog.com

そして夏のNPOの大会で『安心感の輪』(Circle of Security Program)とアタッチメント(愛着)理論について学ぶ機会があった。

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幼児にとって母親は「安心の基地」としての機能を果たしている(果たさねばならない)ことがよく理解できた。このマトリックスである母親を基地として子どもは探索活動に出かけ、また帰ってくる。そしてこれを何度も繰り返す。

しかし母親と父親との関係がうまくいかないことやその他の状況が影響して、そうした安心の基地としてのマトリックスが年相応な形で機能しないなら(マトリックスの機能不全)、パーソナリティが歪みがちになると吉福氏は書いている。それはアタッチメント理論、安心感の輪プログラムからも明白だ。

典型的には、対人関係で不信感が強く出やすくなり、他者を信頼できず、他人に自分を預けることができない。常に不信感を持って他人と接触するようなパーソナリティに育ちやすくなってしまう。

という。

そして先日、日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community)について調べていて、家族の関係、友人や職場の関係、という人間関係の距離感とコミュニティについての記事を目にした。
私たちの世界は、愛情空間、友情・知り合い空間、貨幣空間の3層の同心円構造で表現される、と書かれている。

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愛情空間とは、家族や恋人との関係であり最も大切な空間(2~10人)。友情空間とは、親しい友達との関係であり、人によるが10~30人程度。知り合い空間は先輩後輩、上司部下、近隣などとの関係で10~30人程度。貨幣空間とは、コンビニの店員などとの関係であり、市場を介して誰とでも繋がれる(原理的に無限大)。

CCRCはこの第2層である友情・知り合い空間(定年後、地域にネットワークを形成してこなかった男性においてこの空間の収縮が著しいと考えられる)をコミュニティとして再構築することが目標となるのだが、それはさておき・・・。

この愛情空間と、友情・知り合い空間のうち愛情空間に接した親密な円周部分がマトリックスとなって機能することが「マトリックスの健全な移行」という観点からは望ましいのではないだろうか。マトリックスが中心から外側へと広がるほど、中心への依存は低くなる。それは健全な成長だ。

(ただ緑の空間の代替えとして、水色の貨幣空間にマトリックスを求めるようになると、安心・信頼の関係をお金で買おうとすることになるので、それは人生を間違えかねないだろう。)

吉福氏は、母親との関係においてマトリックスが損なわれていたとしても何らかの代用が補償として働くことがあるという。

安心の基地としての母親というマトリックス、あるいは家庭というマトリックス、の代償となるとは?

6/10のブログでは共同体感覚を育める人間関係がそれにあたるのではないかと書いた。

それは自己受容、所属感、他者信頼、貢献感、の感じられる集団に帰属しているならそれがマトリックスとして機能するのではないかと思われたからである。

吉福氏は「小さな共同体」がそれにあたると書いている。

それは例えば、NHK朝ドラ「ひよっこ」で展開されているアパート住民と近隣のコミュニティであろう。

 

さらにさらに、マトリックスにまつわる思いは巡って・・・。

われわれは生まれてから、何か自分の背景となってくれるような、自分自身を全面的に明け渡してしまってもかまわないような、信頼できる何ものかとのつながりをベースにして生きているとぼくは考えています。

と吉福氏は書いているが、これは根源的なI-I、目撃者(Witness)がマトリックスになるということを同時に含意しているのではないか、と感じた。『無境界』はじめ多数のウィルバー著書を翻訳してきた吉福氏でもあるからだ。

ウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』p86-87より『ワン・テイスト』の抜粋を引用

この11日間、ぼくはまったく眠らなかった。あるいはむしろ、11日間、夜も昼も意識があった。その間、身体も心も起きたり、眠っていたりしていた。けれどもその変化の中にあって、ぼくはまったく動かなかった。そこにあるのは、まったく変化しない、空なる意識であった。それは輝く鏡の心(mirror-mind)であり、目撃されるもの一つとしての「目撃者」であった。ぼくは自分であるものに立ち返った。そして、それ以降、多かれ少なかれ、そのようであった。
 この定常的な非二元の意識が明白になると、新しい運命が顕現された世界のなかで、目覚めてくる。自分自身の仏心を、至高の神を、無形の、空間のない、時間を超えた空性を、アートマンであるブラフマンを、ケーテルを、キリストの意識を、発見するだろう。いろいろな言葉で言われているが、それはワン・テイスト(一味)である。あなたの本当のアイデンティティは、空、あるいは属性のつけられない、かくの如しの(as Such)意識であり、こうしてあなたは、小さな対象に溢れた、小さな自己と同定していると必ず起こる、恐怖や苦しみから解放される。
一度、仏心、アートマン、至高神としての、この無形のアイデンティティを発見すると、定常的で、非二元的で、常に現前する(ever-present)意識を、その意識のまま、より低い状態、微細な心や粗大な身体に再び入り、その意識のなかで輝くように活性化させる(reanimate)ことができる。あなたはただ無形で、空なる状態にはとどまらない。その自分自身の空性を、いわばカラにする。あなたはそれを心や身体や世界に流し込む。しかし特に特定の心身(ぼくの場合はケン・ウィルバーに)に流し込む。こうして低い(状態の)自己は「スピリット」の乗り物になる。
 あなたの小さな心や身体、感情、思考などは、あなたそれ自身である広大な空性のなかに生起し、生起するごとにおのずから解放される。なぜなら、あなたは生起するもののいずれとも自分を同一化していないからである。むしろ生起するものをそのまま遊ばせる。そのまま「空性」と開けのなかに解き放つ。この時、根源的な自由として、あなたは目覚める。輝く解放の歌を歌う。・・・
 しかし、あなたは、この自由を見つけたのではない。あるいは獲得したのでもない。それは純粋な「目撃者」のなかに最初から住んでいた自由である。あなたは始まりのない始まりから、あなたのなかに住んでいた純粋で空なる「自由」に目覚めたに過ぎない。それは根源的な「私―私」である。あなたがそれに気付かなかったのは、あまりにも人生の映画によっていて、我を忘れていたからにほかならない。

 「むしろ生起するものをそのまま遊ばせる」・・・

生起するもの、遊びに行くものは「子ども」、遊ばせるのはマトリックスである「母親」であり純粋な目撃者だ。

お付き合いいただき、ありがとうございました。<m(__)m>

新たな認識は新たな世界を生成する~世界内認識の複雑系~

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フランシスコ・ヴァレラの『身体化された心』を参照し、2013年5月5日のこのブログで私はこう書いた。

すなわち、現実とは自己と世界の間で共創される複雑系であるということだ。
私は今まで相互依存性を右下象限の性質であると何となく理解していたのだ。
しかしそうではなく左上象限との間で共同創造されるものなのだ。
縁起のことをdependent co-arisingと表現し、それを相互依存的連携生起と翻訳した本を10数年前に読んだことがあった。
以降、縁起のことをそのように解釈してきたのだが、今回ここで焦点とされているのは、「心と世界の相互依存的連携生起」なのだ。

そして小林道憲著『続・複雑系の哲学』を読んで、この見解をさらに確信をもって拡充、深化することができた。

新たな認識は、新たな世界を生成する。
認識が変わると、世界が変わるのだ。

ケン・ウィルバーのAQAL四象限マトリクスは「4点生起」するということ思い出し、『続・複雑系の哲学』の論旨を整理できるかもと考え、次のような図を描いてみた。

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各象限が何を表すかはこちらを参照してほしい。

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ゾウリムシ、アメーバーから高等哺乳類に至るまで、あらゆる生き物はよりよく生きるために環境を認識し、エサとなる対象には捕食するために「接近」し、天敵ならば「逃げ」、障害物は「避ける」という行動をとる(認識→行為)。また触手を伸ばし、接近するという行動を通して知覚する(行為→認識)。

動物は天敵から身を守り、卵を産み、子を育てるために巣を作る(行為→環境)。人間は集落をつくり原生林を里山へと改変し、土地を開墾して農地にする(行為→環境)。会社をつくり、新しい製品を生産し消費者に販売する(行為→社会)。消費者ニーズをリサーチし、企業家は行動を起こす(社会→行為)。

社会の構成要素の一つに会社があり、私たちは就職して会社に所属する(社会→私たち)。また私たちの使命感がNPOを設立して社会を変革する(私たち→社会)。

一人のリーダーが新しい認識のもとにグループを作る(認識→私たち)。所属したグループで新たな認識が芽生える(私たち→認識)。

私たちの強い思いが新たな行動を起こす(私たち→行為)。広く呼びかけることで新しいメンバーが加わる(行為→私たち)。社会制度が変わり新たな認識が獲得される(社会→認識)。地域で新たな情報を獲得し、道が作られ橋が架けられる(認識→環境)。

認識が改まり、(行動が為され)、新たな世界が生成する。あるいは新しい認識が、(多くの人に共有され)、新たな世界が生成する。

認識が変わることで、世界は変わるのである。

世界の内にいるものが、世界を認識し、行為する(世界内認識、世界内行為)ことによって、世界が自分自身を形成していくのだ、と小林道憲氏はいう。

(『続・複雑系の哲学』p242より引用)
世界を動かすものが、その世界の中にいる。しかも、そのような行為者を世界自身が生み出しつづける。そのような世界では、世界が変わることによって自己が変わるとともに、自己が変わることによっても、世界は変わる。自己自身の行為は、無限の事象の相互連関を通って、世界全体に及ぶからである。ここでは、自己は世界に包まれつつ、世界を包み、世界に組み込まれつつ、世界を組み込んでいる。
大海原に波が立つことによって舟が動く。と同時に、船が動くことによっても波が立つ。道があるから私は歩く。だが、私が歩くことによっても道は出来る。
世界が動くことによってわれわれは動く。しかし、われわれが動くことによっても世界は動く。われわれは、そのような世界内行為者なのである。

 

小林氏いわく、存在は認識であり、認識は行為であり、行為は生成である。

巻末の言葉はこうだ。

「在ることは知ることであり、知ることは為すことであり、為すことは成ることなのである」。

すばらしい。

存在は生成する。

あなたという存在がある世界とあなたという存在がない世界の違いは、1946年モノクロ映画の名作『素晴らしき哉、人生!』に見るとおりである。

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あなたという存在が、世界を変えた、世界を生成したのである。
あなたという存在と世界はセットなのだ。

そしてさらに、認識が変わると世界が変わる。

ジョージは翼のない天使の見せたヴィジョンにより、世界に対する認識を書き換えた。元いた世界は自分の存在ぬきには成り立たない、とても愛おしい世界なのであった。

そうした認識の変化が、彼の行為を変化させた。前の認識の彼は、お金を失ったことで絶望し、川に飛び込み自死しようとしていたのである。

ところが認識を新たにした彼は、お金を失った絶望など二の次で、元の世界に対する愛おしさにメリークリスマス!を連呼しながら街を走った。友人にメリークリスマス!そして宿敵にもメリークリスマス!妻をはじめ家族にもつらく当たっていた彼であったが、今は家族への愛が戻ってくる(認識→行為)。

そして、妻が街頭で呼びかけ、友人の多くが協力し、市民が大小さまざまな寄付を申し出てくれて、会社は倒産の危機を免れた(行為→世界)。

認識が変わったことで、彼をとりまく状況が変わった。新たな認識が新たな世界を生成した。認識が変わることで世界が変わったのである。

あなたの認識が変われば、世界が変わる。その変わった世界によってまた、あなたの認識は変えられる。

複雑系のふるまい・・・。

 

ソーシャルビジネス、NPOの経営戦略

 日本政策金融公庫のメルマガに「NPO経営戦略10のステップ」というものを株式会社PubliCo代表の山元圭太氏が紹介されていて興味深かったので適用してみたいと思います。

まず、10のステップとは以下のA~Jです。

Ⅰ.社会を変える計画
  A.組織使命(Vision/Mission)社会に何を生み出す存在か?
  B.問題構造(Theory of Problem)どんな問題構造になっているか?
  C.問題解決仮説(Theory of Change)どうそれば解決するのか?
  D.役割定義(Position)どんな役割を担うのか?
Ⅱ.事業計画
  E.成果目標(Key perfomance indicators)
  F.必要資源(Budget)
  G.資源調達(Fundraising)
Ⅲ.実行計画
  H.組織基盤(Organization)
  I.実践実行(Action)
  J.カイゼン(PDCA)

事業起点ではなく社会起点であり、「社会を変える計画」というものが、まずはじめになくてはならないといいます。まったく同感です。


ということで、私が関わっている小児がん経験者・家族支援のNPOを念頭に置いてAからDまでを簡単に整理してみました。

A.組織使命(Vision/Mission)社会に何を生み出す存在か?

小児がんインクルーシブの実現」(みんな違って、みんないい by 金子みすず
小児がん経験者・家族がエクスクルーシブ(排除)されない社会の実現〉


B.問題構造(Theory of Problem)どんな問題構造になっているか?

・入院、復学、進学、就職、結婚というライフステージを経るごとに次第に孤立しやすいという現状。
・晩期合併症や治療の影響によって心身の「障害」が「活動」の制限につながり「参加」を制約してしまう傾向(ICFモデル参照)。
・病気と治療に関する正しい知識と適切な配慮が学校や職場で欠如(ICF環境因子)。
・「障害」があっても「参加」を実現するための戦略の不在(ICF個人因子)。

ICFとはInternational Classification of Functioning, Disability and Healthの頭文字をとったものでWHOが2001年に定めた人々の健康状態や傷害などの分類方法のこと。国際生活機能分類と訳され「人が生きることの全体像」を表す、とされている。

ICFモデルはこのような図で全体像を示します。

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C.問題解決仮説(Theory of Change)どうそれば解決するのか?

・学校(教員、生徒)をはじめ社会の理解を深める啓発活動が増え、合理的配慮など適切な配慮が実現され、互いに共同体感覚を育くんでいける。
小児がん経験者個々のケースに応じて、「参加」を促進する個別支援計画(ICFモデル)が作成され、「参加」の様々な機会が確保されること。


D.役割定義(Position)どんな役割を担うのか?

小児がん脳腫瘍全国大会を通じた啓発
・当事者は晩期合併症などへの適切な対応(医学的、心理社会的)を学ぶ。
・学校や関係者に対しては小児がんの理解を深める啓発活動を行う。

②「いのちの躍動」を発見し参加へと育てる。
音楽、運動、園芸、アートなどのアクティビティを実施することで、彼らの「参加」機会を四季を通じて確保し、何に「いのちの躍動」を感じるのかを発見する。

③個別相談のプロセスを通じて「よりよく生きる」ための個人戦略を提示する。
対象者のICFモデル(これは「障害」があっても「参加」を実現できる個人戦略体系である)を作成していく。

 

 

インフレーションの「真空のエネルギー」と空の充溢

複雑系としてふるまう創造的進化の原動力」としてのエラン・ヴィタールと、私たちの「内なる躍動」が共振するのではないだろうか?と考えています。
そしてその共振する感覚こそ「生命の躍動」であり、その感覚は望ましい生き方のシグナルなのではないでしょうか。
ベルクソンのいうエラン・ヴィタール(elan vital)を念頭において複雑系のふるまいを加味しながら、今回はこれに宇宙のビッグバンの前に起こったとされるインフレーションと、その元となった「真空のエネルギー」について考えてみたいと思います。

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上図の出所は、佐藤勝彦氏が対談されている以下のウェブサイトです。

https://www.athome-academy.jp/archive/space_earth/0000000243_all.html

2014年12/4放送のNHK BSプレミアム『コズミックフロント  ~ついに見た!?  宇宙の始まりインフレーション』を参照し、佐藤勝彦著『宇宙はこうして誕生した』から以下に引用します。
・6000度以上になると水素は陽子と電子に分かれてしまいます。
・10億度の高温になるとヘリウムはじめすべての原子核は、それを構成している陽子と中性子に分解された状態だったといえます。
・1兆度ぐらいになると陽子や中性子クオークに分解されてしまいます。
・つまり宇宙の初期はすべての物質が溶けて、ミクロの極限である素粒子のガスになってしまっている。(『宇宙はこうして誕生した』佐藤勝彦著p32)
ワインバーグ=サラム理論によって電磁力という弱い力が統一されましたが、さらに強い力、重力をふくめた四つを統一した理論(超大統一理論)が完成すれば、一つの力から相転移によって次々と力が生まれてきた、あたかも生物が進化するように力も進化して今日に至った、というシナリオが描けるのです。(同p37)
・宇宙が始まって10のマイナス44乗秒後に最初の相転移が起こり、一つの力からまず重力が枝分かれします。…この時の温度をプランク温度といいます。そして10のマイナス36乗秒後に第二の相転移により強い力(色の力)が枝分かれを起こします。さらに10のマイナス11乗秒後に、第三の相転移が起こり、電磁気力と弱い力が分かれ、四つの力が誕生するわけです。このとき、温度は1千兆度Kにまで下がっています。(p38p39)
アレキサンダー・ビレンケンは「無からの宇宙創成」という論文で、宇宙は無から生じたと論じて世界の物理学者を驚愕の渦に巻き込みました。…
常識的な古典的真空では、粒子がまったく存在しない空っぽの状態ですが、量子論では粒子がエネルギーゼロの地点の付近でゆらいでいる状態(物理的真空)ということになります。きわめて短い時間の間に、粒子が突然出現したり消滅したりと、「非存在」と「存在」との間を揺れ動いているのです。“無”の概念は、真空の考えをさらに深め、物質だけでなく空間すらない状態をさします。そこでは、空間すら「非存在」と「存在」の間をゆれ動いているのです。…
そんな鍋の中でふつふつと煮立った湯の気泡のような量子論的な宇宙が、あるとき「トンネル効果」によってポロッと生まれたというわけです。
トンネル効果とはビッグバン理論のガモフが1928年に「アルファ崩壊の理論」で論じた、原子核からアルファ粒子がポンと飛び出す現象のことで、…極微の世界では珍しくないことです。(p41-42)
生まれたときに10の34乗分の1センチという、素粒子よりはるかに小さかった宇宙が、…とてつもなく短い時間に起こった異常膨張によって、宇宙は1センチ大の大きさになります。
この急激な膨張は、生まれたばかりの宇宙が持つ固有の力―「真空のエネルギー」によるものです。先に、量子論では無もゆらいでいるといいました。これが物理的な真空です。そこでは粒子と反粒子(物質と反物質)が生まれては消滅しています。粒子と反粒子を生み出すにはエネルギーが必要です。したがって、生まれたばかりの宇宙は、無の状態から物質を生み出すエネルギーがつまった真空状態だったと考えられます。この真空エネルギーが宇宙を急激に押し広げるのです。
この真空エネルギーをアインシュタイン方程式に代入してやると、空間に対する「斥力」(万有引力の反対の力)が宇宙を急激に膨張させることが導き出されます。(p42-44)
宇宙が急激に膨張すれば、密度がそれだけ低くなるわけで、温度が急激に下がり、いわゆる「過冷却」と同じ状態になります。水が氷に変化する現象が「相転移」であるとお話ししましたが、摂氏0度で一気に氷になるのではなく、マイナス4度になって初めて氷になります。これを過冷却といいます。宇宙も急激な冷却で「相転移」を起こします。
真空のエネルギーは宇宙がどれほど膨張しても薄まることはありません。宇宙が持つ固有の力なので、体積当たりのエネルギー密度は一定です。したがって、宇宙が膨張すればするほど真空のエネルギーも増大して行きます。そして宇宙が「真空の相転移」を起したとき、水が氷になる時に熱を放出するように、膨大な量の潜熱を解放するのです。急激な膨張で「過冷却」状態になっていた宇宙は、この潜熱による熱エネルギーで超高温の火の玉となって、「ビッグバン」を開始するわけです。(p44-45)

 

佐藤勝彦氏は1980年にこれを「指数関数的膨張モデル」として論文にまとめました。その半年後に米国のアラン・グースが同様のシナリオを「インフレーション理論」として発表し、現在はインフレーション理論という呼び名で定着しています。
要約すると大体こういうことになるでしょう。

量子論的にいうと、真空とはまったくの空っぽなのではなく、粒子が生成消滅を繰り返し「ゆらいで」いる空間である。
宇宙は「無」から生まれたと考えられている。「無」とは物質だけでなく空間もゆらいでいる状態である。空間すら「非存在」と「存在」の間をゆれ動いている。この「ゆらぎ」の中で、ある時トンネル効果が働き、最初の宇宙が生まれた。(すなわち空間が生じた。しかし物質はまだなく真空であった、ということでしょうか?)
この宇宙は「真空のエネルギー」をもっており、このエネルギーが大きな斥力を発生させ(アインシュタイン方程式に代入してやると斥力が計算される)、空間は光速よりも速いスピードで指数関数的に急膨張した(素粒子よりも小さい直径10のマイナス34乗cmから一瞬で1㎝以上に膨張した)。
膨張すると密度は下がるが、エネルギーは空間の膨張に比例して増大する(空間が広がってもエネルギーは薄まらない)。それがさらなる斥力を生じさせて空間が膨張し、さらなるエネルギーを生じさせる。
空間が膨張することで密度が下がって過冷却が起こり、潜熱が蓄えられる。やがて真空の相転移が生じ、蓄えられた潜熱が莫大な熱エネルギーとなって放出される。これによって宇宙は高温の火の玉となる。こうしてビッグバンが始まったのである。

この「真空のエネルギー」は、まったく不思議な存在で、インフレーション理論のかなめとなっています。
このインフレーションのシナリオに沿うなら「創造的進化の原動力(エラン・ヴィタール)」の原初の姿は、この「真空のエネルギー」であるといっても過言ではありません。
そして私にとっては、宇宙の始まりの真空がエネルギーで満たされていたことと、空なる境地で内から満たされてくる充溢の感覚が、どうしても重なってきます。
「真空のエネルギー」が、「空の充溢」を連想させるのです。
真空とは空っぽなのではなく、空とは虚しいのではなく、むしろ何かによって満たされた状態であるといえます。
 
そして「真空の相転移」。これは私たちの内面における「本質」の無化、無「本質」化を連想させます。
6月2日のブログで引用した井筒俊彦氏の「意識と本質」のp119から再び引用します。
こうして禅は、すべての存在者から「本質」を消去し、そうすることによって全ての意識対象を無化し、全世界をカオス化してしまう。しかし、そこまでで禅はとどまりはしない。世界のカオス化は禅の存在体験の前半であるにすぎない。一たんカオス化しきった世界に、禅は再び秩序を取り戻す。
すなわち禅は、本質を無化することで対象あるいは世界をいったんカオス化し、のちの新しい秩序の形成を促すのです。カオスと自己組織化を組み込んだ複雑系のふるまいです。禅は相転移の反応を進展させる触媒のようなものかもしれません。
宇宙のはじまりの「真空の相転移」は、進化の最先端である私たち知的生命体における「空による相転移」と対称的です。
また神谷美恵子氏のいう「価値体系の変革」も、ある種の「相転移」でしょう。
PTG(ポスト・トラウマティック・グロース「心的外傷後成長」)も、ある種の「相転移」でしょう。
宇宙は相転移により自己組織化してきたといえますが、個人もまた相転移創発により成長・発達すると言えます。
 
では相転移は、どこでおこるのでしょうか?
それは「カオスの縁」で起こる、といいます。
このことを次の機会に考えてみたいと思います。

複雑系とは?散逸構造と自己組織化、創発と相転移

複雑系とは何か?ネット検索してみると出てくるのはこういう解説だ。

多くの要素からなり、部分が全体に、全体が部分に影響しあって複雑に振る舞う系。従来の要素還元による分析では捉とらえることが困難な生命・気象・経済などの現象に見られる。高精度の測定技術、カオス・フラクタルなどの新概念の導入、コンピューターの活用などによって新しい研究対象となりつつある。 (大辞林第三版)

数多くの要素で構成され、それぞれの要素が相互かつ複雑に絡み合った系またはシステム。脳、生命現象、生態系、気象現象のほか、人間社会そのものが挙げられる。個々の要素の振る舞いや局所的な擾乱が系全体に大きな影響を及ぼす非線形、複雑で予測不可能な振る舞いの中にも一定の秩序が形成される自己組織化といった特性をもつ。 (デジタル大辞泉

 

複雑系の哲学』を著した小林道憲氏は、「複雑系の科学はカオス理論と自己組織化理論を源泉として発展してきた」と書かれている。

 

まず、「粒子と波動の相補性の原理」を見てみよう。これは次の機会に取り上げるビッグバンをもたらしたインフレーション理論を理解するうえでも大切である。

 

粒子と波動の相補性の原理

N・ボーアの量子力学解釈における中心的概念

電子をはじめ、あらゆる素粒子は、粒子の性質ももち、同時に波の性質ももつ。粒子は場の振動であり、波動である。場の振動が一定のパターンをとったとき、それが粒子として現われてくる粒子と波は、同一の実在の相補的な両面なのである。(『複雑系の哲学』p50)

 

この「同一の実在の相補的な両面」は、このブログで何度も取り上げてきたヘキサ・キュ―ブで喩えることができそうだ。

 

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「粒子として観る」とは、本図形を2次元の平面六角形として観る見方であり、世界を区別して観る見方である(A、B、…Fは対角線で分断されたそれぞれ別の実体である)。

一方「波として観る」とは、本図形を3次元立方体として観る見方であり、それは世界を区別のない全体として観る見方を表している(A~Fは別々に分離した実体ではなく、立方体という一つの全体のある側面が映し出されているにすぎない)。

 

次に自己組織化の理論である。端的にいうなら宇宙の歴史は、自己組織化138億年の歴史なのである。

 

自己組織化理論とは(同p147)

自己組織化理論で最も重要な概念は〈相互作用〉である。無数の要素が相互作用することによって、自発的に新しい秩序が形成される。ただし、この場合、自己組織化する系は、環境に開かれた開放系であって、しかも、平衡から遠く離れた状態(動的非平衡)になければならない。
このとき、自己組織系は、環境に適応して柔軟に自分自身を作り変え、変革していく能力をもつ。と同時に、そのことによって、それは積極的に環境を形成し、創造してもいく。しかも、その創造された環境に応じて、また、その系そのものが変化してもいく。
内の中に外を入れるとともに、外の中に内を作り出すのである。このような環境と 系との相互作用の中から、新しい秩序が形成されてくる。

  

この自己組織化理論を切り拓くきっかけとなったのがイリヤ・ブリコジンの「散逸構造」だという。なんとも懐かしい。30年前に私がコンサルタント会社に転職するきっかけとなった本が何冊かあり、実はその一冊がまさにこの散逸構造などの概念を紹介した『パラダイムブック』という本であった。

  

散逸構造とは

ブリコジンはこのような平衡から遠く離れた開放系を〈散逸構造〉と呼んだ。絶えずエネルギーが流入するとともに、外部へエネルギーが消失する。要素間にフィードバックを伴った相互作用が起こり、ある段階に達すると、新しい組織が自発的に形成される。
相互作用する非平衡状態にあっては、全体の規則性から逸脱するような不安定な〈ゆらぎ〉が増幅し、ある臨界点を超えると、高次の秩序への飛躍が起き、新しい意味が創出される。この自発的秩序形成や自律的形態形成は、創発〉(emergenceという概念で、諸要素の相互作用からそれらの総和以上の新しい構造や形態が出現することである。そこでは、下位レベルの要素間相互作用から、より上位の秩序が生成する。(同p148)

  

図にするとこんなイメージだろうか?(笑。グーグル画像で検索するともっとまともな図が出てきます。)

 

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「ある段階に達すると新しい組織が自発的に形成される」ことを「相転移(そうてんい)」という。

 

相転移とは

相転移とは、水が氷になったり、水蒸気になったりするように、気体、液体、固体など温度や圧力の変化によって別の相に急激に変化することをいう。プラズマの発生、対流のパターン形成(ベナール細胞)、結晶の生成、粘菌の移動、都市の形成、技術革新など、相転移現象は、創発現象である。
自己組織化では無秩序から秩序が自動的に形成されるから、熱力学第二法則に反してエントロピーは常に減少することになる。閉鎖系の不可逆変化では熱力学第二法則に従いエントロピーは常に増大するが、開放系の非平衡状態では、エントロピーは減り、秩序が生成する。
ここでは〈ある〉ことは〈なる〉ことであり、存在は生成に還元される。(同p148-149)

  

「在る」こととは、じつは「成る」ことであり、「存在」とは、すなわち「生成」なのだという言明は、福岡伸一氏のいう「生命とは動的平衡にある流れである」に通じるものを感じさせる。

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)でも「プロセスとしての自己」とよぶ自己観を学ぶが、自己とは固定された実体なのではなく絶えず進行し変化しているプロセスなのだという認識だ。そしてそれはあらゆる存在にも言えることなのである。

相転移もまたインフレーション理論のかなめとなるキーワードである。

 

生命の躍動(エラン・ヴィタール)とは「複雑系としてふるまう創造的進化の原動力」であると前回のブログで書いた。それとの関連でいうならば、オーガニックな生命体が発生する以前の物質段階においても、平衡から遠く離れた開放系では、相転移という創発現象を通じて自発的に秩序が生じる。相転移は、まさに「飛躍」なのである。

一定の条件を満たし、そうした自己組織化が進行している系、そこにはすでに「生命の躍動」「生の飛躍」があるといえるだろう。

 

エラン・ヴィタール(elan vital)「生命の躍動」

このところ「生命の躍動」というキーワード、この言葉で体系的に整理できれば面白いのではないかとあれこれ考えていました。そして今日やっと以下の図のように自分の中で関連すると思われる言葉を洗い出してみました。

最近このブログで取り上げた内容もあれば、過去に何回か触れてきたキーワードも並んでいます。そして今月の「知縁カフェ」でテーマにした小林道憲氏の『複雑系の哲学』の内容も大いに関係しています。

じつは「生命(いのち)の躍動」という言葉は、一昨年度にNPOの方で作成した『ICF国際生活機能分類)活用の手引き』の冊子の終わりに「生命の躍動を発見し、〈参加〉へと育てる」というまとめを書いたことがきっかけです。その時は冊子を読んでもらいたい小児がんの当事者・家族、関係者に向けてのメッセージだったのですが、もう少し押し広げて振り返ってみますと、自分自身の生き方の指針としても、このブログで書き発信してきた観点としても、まさに「生命の躍動」だ、「生命の躍動」で統合できる、そんな気がしてきました。

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ということで今後何回かに分けて上記の各項目について「生命の躍動」と関連させ順次取り上げていきたいと思います。

今回は「エラン・ヴィタール」です。

もともとベルクソンもエラン・ヴィタールという用語も知りませんでした。誰かが自分の直感と近いことをいっていないだろうかと「生命の躍動」という言葉で検索しているうちに、フランスの哲学者アンリ・ベルクソン[1859~1941]がelan vitalという用語で「生命進化の根源となるもの」のコンセプトを提唱していることが分かりました。「生命の躍動」、「生の飛躍」、「生命の弾み」などと訳されています。

 

以下、「エラン・ヴィタール」の説明をいくつか列挙します。

 

生物が内的衝動によって進化する生命の躍進力。生物を飛躍的に進化せしめる単純不可分な内的衝動。(コトバンク

 

創造的進化の原動力を表し、「生命の進化を押し進める根源的な力として想定された。(ウィキペディア)」

 

起源にある弾み(elan)。徐々に複雑になっていく形態を経て、生命をより高い使命へと至らせるような内的な推進力。(アンリ・ベルクソン『創造的進化』P137)

 

生命はその起源から、唯一の同じ弾み(elan)が連続しているもので、この弾み(elan)は分岐する進化の複数の線に分かたれた。(『創造的進化』P80)

 

万物の根源を宇宙的な生の飛躍(elan vital)としてとらえ、世界を不断の創造的進化の過程としてとらえた。(小林道憲『複雑系の哲学』P69)

 

生成する世界は絶え間なく新たなものを生み出し変化し続ける。そこには生命の躍動(elan vital)があり、予見不可能な創造性と不確定性があり、そこに自由がある。

世界は創造的進化の過程であり、生命の躍動(elan vital)の軌跡である。(『複雑系の哲学』p205)

  

といったところです。私としては

複雑系としてふるまう創造的進化の原動力」と表現するのが一番しっくりくる気がします。

複雑系の科学」という領域はベルクソンの没後に発展してきましたが、『創造的進化』P137に「徐々に複雑になっていく形態を経て」という表現があるように、エラン・ヴィタールとは、より複雑な様相へ向かうもの、であることがすでに示されています。

万物の根源という点では老荘思想の「道」やインド哲学の「ブラフマン」に類するとも言えます。

そして私はこの創造的進化の原動力であるエラン・ヴィタールと私たちの内なる躍動は共振するのではないかと考えています。

今後この点について掘り下げていきたいと思います。